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アダージェットを君に (1) : メイキングセンス。by 中山慶太

アダージェットを君に (1)

2010-03-08 | 視聴覚室

Nikon FE2 / Ai Noct-Nikkor 55mm F1/2S / Astia 100F / (C) Keita NAKAYAMA

Nikon FE2 / Ai Noct-Nikkor 58mm F1/2S / Astia 100F / (C) Keita NAKAYAMA

いつものように約束の時間に遅れた僕が扉を叩いたとき、館の広間では祝宴の準備が進んでいた。その日はこの宿の長女の、ちょうど二十歳の誕生日だったのだ。
うまい具合に、クルマのトランクにはシャンパンがケースで積んである。前の週にパリでワイン関係の仕事があって、その撮影に使った余りだった。といっても、この北イタリアの宿にたどり着くまでの間にだいぶ減ってしまっていたけれど、手土産として面目の立つ数は残してあった。

夕食の席で、ふたつめの皿を平らげたあたりで、宿の女主人からお呼びがかかる。続きは広間で、皆といっしょに。長旅で疲れたなら、適当なところで部屋に戻りなさい。いや大丈夫、でもエスプレッソはダブルでお願い。

さいしょに彼女に会ったのは、あれは確かその数年前のことだ。はじめてこの館(昔の王様の別荘をそのまま使った宿)を訪れて幾日かを過ごしたあと、暇を告げる段になって、女主人が家族を紹介してくれたのだと思う。まるで記憶にないけれど、記念に撮った写真に写っている。母親の陰に隠れるようにしてレンズを見つめる小柄な少女。黒い服に黒髪で、おおきな黒い瞳が印象的だった。
それから館を訪ねるたびに顔を合わせても、ほとんど会話らしい会話を交わした覚えがない。人見知りする質なのか、それともこちらの下手な英語と最悪のイタリア語につきあう根気が、彼女になかったためだろうか。
イタリアという国には、過剰なまでに人懐っこいイメージがあるけれど、この土地のひとたちには微妙な距離感がある。そしてその距離は、時間をかけて気心が知れたときに、すっと縮まるものなのだ。
でも彼女と僕とはずっとそんな間柄だったから、誕生日のお祝いに招かれても、心はとくべつ騒いではいなかった。

ところが、広間で家族と大勢の友人に囲まれた彼女は、いつものように黒づくめの服装だったけれど、それまでの印象はどこへやら。まるで人生の二十年分をいっぺんに使い果たす勢いで、よく喋ってよく笑う。こちらが持ち込んだボトルも瞬きをする間に空になって、そこから先はこの土地でつくる泡の酒に変わり、広間のテーブルに用意されたお菓子もすごい勢いで減っていく。
その祝宴の間ぢゅう、僕が彼女の家族や取り巻きの若い男の子たちと、いったいどんな話をしていたのか。それもまったく記憶にない。でもとちゅうで彼女がシャンパンの空き瓶を手に取って、そのラベルに寄せ書きを求めて回ったことはよく覚えている。
僕の番がめぐってきて、なにかお祝いの言葉を書こうとすると、彼女はふとペンを差し出す指を止め、こんな夜に聴きたい音楽ってどんな曲? と訊いてきた。
(続く)

Speciale grazie ad Alessandra.

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