アダージェットを君に (2)
おおぜいのひとが集まった場所で、そこに流れる空気にぴったりの音楽を探すのはむつかしい。答えに捻りを加えないと気が済まない奴にとっては、なおさらだ。だから彼女の問いには即答できずにいた。でもいったいなぜそんな話を振ってきたのだろう。
ボトルを片手に、僕は探りを入れてみることにした。
この部屋は教会みたいに天井が高いから、合唱曲が似合いそうだね。イタリアの第二の国歌と呼ばれている曲ってなんだっけ。
「ヴェルディの“金色の翼に乗って”でしょ。私も歌えるけど、でも夜に歌う曲じゃないわ」
そうか、それならドニゼッティの“人知れぬ涙”なんかはどうだろう。と口に出しかけた渋い選曲をワインと一緒にごくりと飲み込んで、リクエストすればその曲がかかるのかい、と訊いてみた。
「それは無理。ここには他のお客さまもたくさんいるから」
そういえば、僕がこの館で音楽を耳にしたことがいちどもないのも、考えてみれば不思議である。シチリアからミラノまで旅をしたことがあるけれど、どこに行ってもメロディがあった。たぶんこの国のひとたちは、ずっと歌いながら一生を送っているのだろう。そう、分娩室から霊安室まで。
といっても、そういう気質がいつもうまく作用しているとは限らない。いぜんに滞在していた湖の畔の宿なんか、湖面に突き出したデッキの上で夕食をとれるようになっていて、暮れてゆく初夏の空と対岸の灯との対比がなんとも素敵だったのに、流れるBGMは毎晩決まって“マイ・シャローナ”だった。
イタリア人の感性は、じつによくわからないところがある。
空のボトルを抱えて考え込んでいると、彼女は僕の手からペンを取りあげて、ラベルに自分の名前を書き込んでいく。
「長い名前でしょう。アルファベートがぜんぶで24個。気をつけて書かないとはみ出しちゃうわね」
その後ろ三分の二にあたる姓は彼女の母親の、この館の女主人とは別の名だった。娘が父方のそれを名乗るのは、夫婦別姓の国ではとうぜんなのだが、この館を護る一家は母方の姓を使うならわしである。
(続く)
Speciale grazie ad Alessandra.
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