世界の1/3 (8)
「十年ひと昔」という。いろいろと移り変わりの激しいこの時代、特に二進法のデジタルが幅を利かせるようになってからは「二年ひと昔」という雰囲気だ。でも人間の営みには、やはり十年くらいをひと区切りとするサイクルが似つかわしい気がする。
僕ら日本人にはあまり縁がないけれど、西洋では十進法の桁に合わせた年数単位がよく使われる。百年ならセンチュリー、千年ならミレニアム、というように。これはたぶんキリスト教的世界観から生まれた習わしだと思うけど、じっさいのところはよく知らない。では、十年は何というか。ディケードDecadeという単語がそれにあたる。
不思議なもので、音楽の世界にも十年単位の移り変わりがある。といっても、時間はデジタル的に流れるわけではないので、まあ乱暴な括りである。でもすくなくとも僕の記憶のなかにある音楽の流れは、ちょうど十年で区切るとうまくまとまる。
このことは、僕が親しんできた音楽がおもにポピュラー系のそれだったことと、おおいに関係があると思う。歌は世につれ、という言葉そのままに、流行り歌は世相を反映してきた。それは地球の裏側のブラジルでもまったくいっしょだ。
マリア・ベターニアの60年代は、兄カエターノ・ヴェローゾが身を投じた「トロピカリズモ」運動とともにあった。これはブラジル音楽の「伝統と革新の調和」を模索する試みで、だがそのじつは軍事政権に抵抗する民主化運動でもあった。続く70年代には体制と反体制の争いによる混乱も終息し、そこからMPBという新たな大衆音楽の流れが起きる。
ベターニアの80年代は、軍事政権の終焉とともに一気に商業化が進むMPBのムーヴメントを追い風にした、いわばアートとビジネスが程良く両立した時代であった。その圧倒的な浸透力を持つ歌声は世界のあちこちに紹介され、海外ツアーの機会も急増した。
この時期、おなじような成功を収めていた兄カエターノとともに、ブラジルを代表する大歌手となったマリア・ベターニア。だがそこからの十年の歩みは、兄と妹でずいぶん違うものになった。発表するアルバムごとに鮮鋭なコンセプトを打ち出し、ステージでは自作曲を中心に演劇の要素まで採り入れる兄に対し、妹は表現のよりどころを歌そのものに求めた。これはもともとがソングライターである兄と、純粋な歌い手である妹の出自の違いといえばそれまでだろう。ただしベターニアの歌世界は、80年代の成功を受けてより耳馴染みの良いもの、言い換えればヒット性の強い曲を指向するようになる。
この時期のマリア・ベターニアについて、僕には多くを語る資格がない。発売されるCDにはいつも耳を通していたものの、あの(僕にとってほとんど唯一無二の)大傑作「マリア」のような作品にはついに出会えず、買い込んだCDも聴き返すことなく埃を被るのが常だったからだ。
ただひとつの例外といえるのは、95年に発表されたライヴ盤「マリア・ベターニア・アオ・ヴィーヴォMaria Bethania Ao Vivo」で、ここではかつてないほどに肥大化したステージを、強力なオーラを発散しながら牽引していく彼女の勇姿に触れることができる。ベターニアのライヴは外れがないことで有名だが、90年代のこの名盤はスケールの大きさで他を圧倒し、またこの時期ならではともいえる楽曲の分かりやすさ、親しみやすさも決してマイナスになっていない。ステージで真価を発揮するベターニアは、やはり天性の巫女なのだ。
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