世界の1/3 (9)
彼女の63歳の誕生日に書き終えるつもりではじめたこの連載も、気がつけば足掛け半年以上。読んでくださる方がいるかも不明のまま、そろそろひと区切りをつけないといけない。書こうと思えばいつまででも書いていられるような気がするし、一生つき合っていける音楽だとは思うけど、それではただの独り言になってしまう。
マリア・ベターニアにとって、二十世紀最後の十年は、おそらく本人も納得できないまま過ぎていった時代だった。確かにブラジルを代表する歌手としての地位に揺るぎはなかった。でも発表するアルバムが(コマーシャル性を強く意識した割には)以前ほどのヒットを記録せず、広大な大地に深く根ざしていたはずの彼女の声も、地面の浅いところに広く根を張っているように思える作品ばかりだった。
転機が訪れたのは世紀をまたいだ後のこと。ブラジルに新しく設立された「Biscoito Fino」というレーベルを通じてアルバム制作をするようになって、彼女の方向性は明らかに変わった。それまでの大規模なプロダクション体制が影を潜め、歌唱もよりインティメイトな肌合いを感じさせるものとなる。これはある意味、彼女がデビューした60年代の音楽性に回帰したともいえるのだが、齢を重ねた歌声には枯れた味わいと絶妙の滋味が加わっている。
80年代の大傑作「マリア」で聴かれたあの圧倒的な歌唱はすでにそこになく、でもそれゆえに聴くひとの心に優しく深く入り込んでくる。だから「これからベターニアを聴こうと思う」ひとにとっては、どのアルバムも受け入れやすいはずである。正直、これまでの彼女のアルバムは好き嫌いがかなり分かれるものが多かったのだ。
なかで一枚、ぜひ聴いていただきたいのが、ブラジルの魂ともいうべき偉大な作詞家ヴィニシウス・ヂ・モラエスの作品を集めたソングブック「Que Falta Você Me Faz(あなたに欠けているものを私が)」である。彼女のルーツともいえるボサノヴァと、40年の時を経てふたたび真摯に向き合うベターニアの魂は、誰の心にも深いところに響くはずだ。かつてのボサノヴァがともすれば持ち合わせていた「お洒落なサロンミュージック」という側面が微塵もないところに、この大歌手が刻んだ年輪を観る思いがする。
近年のマリア・ベターニアは、先のBiscoito Finoと併せ、自身が主催するレーベルQuitanda(=食料品雑貨店という洒落たネーミング)を通じて精力的に作品を発表している。またキューバの大ベテラン女性歌手、オマーラ・ポルトゥオンドとのコラボレーションも実現するなど、これまで以上にその活動の幅を広げている。兄カエターノ・ヴェローゾが未だアルバム数作ごとに作風をがらりと変えるのに対し、妹はそろそろ安住の地を見いだしたようである。
残念なことに、ベターニアの来日は未だに実現していない。理由はよく分からないけれど、日本では(一部に熱狂的なファンがいるものの)CDの売り上げがあまり芳しくないためかもしれない。また彼女のステージは兄カエターノと同様に、それなりに大仕掛けなものになるので、呼び屋さんも呼びにくいのだろうか。今ではDVDで最新のステージに接することができるとはいえ、できれば生の声を聴きたいと思うひとも少なくないはずだ。是非実現させていただきたいものである。
世界の酸素の1/3を供給するというアマゾンの大密林。普段の呼吸でその恩恵を実感することはまず無いけれど、マリア・ベターニアという歌手の、祈りにも似た歌声は、地球の裏側の大地の広大さを、そしてそこに生きる命の存在を実感させてくれる。そんな歌手が他にいるだろうか。
(この項終わり)
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