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浄夜 : メイキングセンス。by 中山慶太

浄夜

2012-09-05 | 視聴覚室

(C)  Keita NAKAYAMA

(C) Keita NAKAYAMA

音楽家がその曲を書き上げたとき、街は不安で崩れ落ちかけていた。
それはまるで年老いた果樹が、これでお終いの実をひとつつけたような有り様である。分厚い果肉はほとんど発酵寸前までに熟し、周囲に強い香気を放っている。その香りに惹かれた獣たちが樹を囲み、互いを牽制し合いしながら、実が落ちるのを日がな一日、いや夜目まで光らせて待つ始末。

落日の陽を浴びた果実は、そんな獣たちの胃袋を値踏みするかのように、ゆらゆらと揺れながらも、引力に身を委ねるそぶりがない。香気は日に日に毒を増し、いつしか森ぜんたいが甘美な腐敗臭に包まれていった。
若きシェーンベルクが名曲「浄夜」を完成させたその年、ウィーンの街は概ねこのような状態であった。二十世紀の訪れまで残すところあと僅か。権勢と栄華を誇った帝国は瓦解の危機に瀕し、その首都には諦観と退廃が色濃く漂い、そして周辺の国々は熟し過ぎた実を狙って、目に見えぬ火花を散らしている。

じっさいのところ、この世紀末に揺れたウィーンの様子を知るには、長大なマーラーの交響曲などに頼らずとも、「浄夜」ただ一曲でことが足りる。それは浪漫の時代の残り香をたっぷりと含みながら、いいしれぬ孤独と不安が魂を切り刻む、そういう寂寞の空気を漂わせた楽曲なのだ。
演奏時間はおよそ三十分。単一の楽章は五つの部分で構成される。曲想は起伏に乏しく、だが感情を揺さぶる音の連なりは、まるで暗い波のように寄せては退いていく。夜更けに聴けばその波にさらわれ、深い海に沈んでしまいそうだ。

シェーンベルクがこの曲を着想したきっかけは、一編の詩にあった。ドイツの詩人リヒャルト・デーメルの作になる”Verklarte Nacht”、楽曲とおなじ題名を持つ詩である。内容は枯れ木立のなかを歩む男女の、道ならぬ恋にまつわるやりとりを綴ったもの、邦訳で読めば散文詩のような内容だが、原語には確かな韻律がある。
ただし二人の会話は対話というより、ただ互いの胸のうちを吐露しあうだけ。尺も短めで、ゆっくりと朗読しても二分か三分で詠み終えるはずだ。

(C)  Keita NAKAYAMA

(C) Keita NAKAYAMA

この詩をもとに曲をつくるとき、シェーンベルクは歌曲ではなく器楽曲の形式を選んだ。意図は不明だが、おそらく言葉に頼らず情景を描き切る自信があったのだろう。または、原詩の持つ一種青臭い熱情が、ウィーン育ちの若者には気恥ずかしく感じられたのか。
ただし彼がつくりあげた、夜闇までも和音で描いた楽曲は、旧来の作曲法に依ったものではあったけれど、結果として次の時代の音の萌芽を含むことになった。つまり浪漫の時代から合理主義の時代への、冷たいスチールでつくられた架け橋である。

「浄夜」は1899年の成立時に、弦楽六重奏による室内楽曲として完成した。のちに(オーストリア=ハンガリー帝国の崩壊の只中で)作曲家の手により弦楽合奏版に編曲され、こんにちではその両方が親しまれている。
この楽曲を標題音楽、つまり「音のつらなりで情景を描いた」作品の成功例とする人も多いようだが、オリジナルの室内楽版と編曲された弦楽合奏版では、描かれる情景に温度差がある。室内楽版は概して冷たく厳しく、オーケストラルな編曲では豊満な甘美さが強調される。より重要なことは、終結部で提示される「希望」あるいは「救い」の光の強さの違いだろう。

「浄夜」(または「浄められた夜」とも)はアルノルト・シェーンベルク初期の傑作であり、彼の作品中もっとも親しみやすい曲調を持つため、演奏される頻度も高い。CDにも優れた作品が多いが、僕は室内楽版では83年のブーレーズ盤を、編曲版では94年のバレンボイム盤を愛聴している。前者は明晰な厳しさに、後者は潮が満ちるような情感表現に秀でた演奏だ。眠れぬ夜にはこういう音楽で海の底に沈むのも悪くない。

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