A Kind of Magic
偶然を必然に変えるには、ちょっとした魔法が必要だ。
ただしそれを行う呪文は、探してもそう容易くは見つからない。たぶん身の回りのあちらこちらに置かれていると思うのだけど、目に留まっても気づかないのだ。
しかるべき筋に問い合わせて、その道の達人に弟子入りすれば、話は早いだろうか。いやたぶん、僕がそれをやったところで、箒にバケツを運ばせて家を水浸しにするのが関の山だろう。あのネズミのように。
この日の撮影でも、偶然の罠にあやうくハマるところだった。用意した「とっておき」の1台が撮影前に故障して、レンズ数本もろとも、鞄の重しになったのだ。残されたカメラに装着したレンズは1本だけ。
別の機材をどこかで調達することも考えたのだけど、もしそれをやっていたら、あの素晴らしい庭の木漏れ日には間に合わず、写真もずいぶん違ったものになっていたはずだ。なにより、被写体を待たせてはいけない。
多少の迷いがあったとはいえ、そのまま撮影に入ったのは、使えるレンズが35ミリで、開放値がF2だったから。人物撮影には最適とも万能ともいえないけれど、これがあればなんとかなる。しかもカメラボディはライカなどのレンジファインダー機ではなく、「寄れる」一眼レフだ。
撮りはじめてしまえば、機材の制限などすぐに忘れる。そう書くといかにも手慣れているようだけど、じっさいはこのレンズの画角が、人間の視野角にかなり近いので、見た目の印象でそのまま撮れるのだった。
気をつけていたのは撮影距離と画面構成だけ。もう少し寄りたい場面でも、敢えて退き気味に撮って後で周辺を切るとか、被写体の顔をあまり画面の隅に置かないとか、まあ広角づかいの基本を思い出していただけの話。
そうやって身軽に(バッグは重かったけど)撮りながら、僕はずっと以前の、ある冬の夜を思い出していた。あの時も些細なトラブルが重なって、西洋風の一軒家でワイングラスを手にした娘さんと偶然に言葉を交わし、軽い気持ちで記念写真を撮らせていただいた。その先に起きることなど、まったく想像もせずに。
あれから十年が過ぎたこの日に。そのおなじ女性のグラス片手に佇む姿を撮るのは、「ちょっとした魔法」の仕業に違いない。だとすれば、僕は呪文をどこで見つけたのか。
それはきっと、カメラのシャッター音に仕込まれていたのだと思う。
制作協力:脊山麻理子
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