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叫べ、沈黙よ : メイキングセンス。by 中山慶太

叫べ、沈黙よ

2014-06-25 | 東京レトロフォーカス別室

”cry silence 01” FinePix X100 / Fujinon Super EBC 23mmF2 / F2.5 1/140sec. / ISO200 / (C)  Keita NAKAYAMA

”cry silence 01” FinePix X100 / Fujinon Super EBC 23mmF2 / F2.5 1/140sec. / ISO200 / (C) Keita NAKAYAMA

「シャッターを切る前に、タイトルを決めること」

ある練達の撮り手が、こんなことを言っていた。そのココロは、”観るひとにどんなストーリーを感じさせるか、それを考えて撮りなさい”ということらしい。

面白かったので、もうすこし突っ込んで訊くと、そのひとは長駆を揺すって愉しそうに話してくれた。「だってさあ、観てくれるひと皆が皆、自分の意図を分かってくれるわけがない。だからこっちで誘導するんだよ」

「でもそれだと、自分のイメージを押し付けることになりませんか。僕は好きなように受け取ってもらうのが、いいと思うんですけど」

「いやいや、伝えようとして撮るんだから、伝わらなくちゃ意味がないさ」

そのあとの会話はよく覚えていないのだが、たぶん結論は出なかった。でも僕はそのひとの写真も人柄もすごく好きだったので、あの作風の秘密はそういうところにあるのだと、納得して別れたと思う。もうずいぶん前の話だ。

すぐれた撮り手は、ストーリーテリングの名手でもある。絶妙の一瞬を切り取りつつ、その前後の流れやフレームの外にある出来事までも想起させる、そういう物語性を持つ写真は、観る者に強い印象をあたえる。映画や動画が普及しても写真がけっして廃れないのは、それが人間の想像力を喚起するためだろう。その方法論として、表題はたしかに有効だ。

”cry silence 02” FinePix X100 / Fujinon Super EBC 23mmF2 / F2 1/55sec. / ISO200 / (C)  Keita NAKAYAMA

”cry silence 02” FinePix X100 / Fujinon Super EBC 23mmF2 / F2 1/55sec. / ISO200 / (C) Keita NAKAYAMA

もちろん、なんの説明もなしに強いイメージをかき立てる、タイトルや説明はむしろ邪魔になる写真作品もある。僕は今でもそういう写真の方が好きだし、自分の写真についても、できることなら”黙して語らず”がいちばんいいと思っている。これは達観か諦観か、または自信の無さの裏返しか、たぶんその全部なのだろう。

それでもときおりに、撮る瞬間にタイトルが空から降ってくる。かと思えば、どうしても付けなければいけない表題が、町内を逆立ちで一周しても浮かばない。後者の場合「無題」とするのもしゃくなので、なるべく当たり障りのある言葉を選んでヒトサマを煙に巻くのだが、これは自分に欠けた部分を覆い隠す煙幕である。

写真のように視覚に働きかけるメディアが、言葉を必要とするか。それはけっきょく、その写真がどれだけ雄弁かにかかっている。当たり前の話だが、この場合の雄弁とは言葉数が多いという意味ではない。沈黙に勝る雄弁はない、ということだってあるからだ。

沈黙といえば、ある小説を思い出さずにいられない。フレドリック・ブラウンの短編集「まっ白な嘘」に収められた掌編「叫べ、沈黙よ」である。ミステリ好きには知られた話なので(これから読む方のためにも)内容は端折るとして、パラドキシカルな表題が無言にひそむ暴力性を暗示し、それを結末が見事に暴きたてるという、これは題付けのお手本のような作品だ。

”cry silence 02/trimmed” FinePix X100 / Fujinon Super EBC 23mmF2 / F2 1/55sec. / ISO200 / (C)  Keita NAKAYAMA

”cry silence 02/trimmed” FinePix X100 / Fujinon Super EBC 23mmF2 / F2 1/55sec. / ISO200 / (C) Keita NAKAYAMA

そういえばいぜんに雑誌の原稿依頼を受けたさい、こんなことがあった。締め切りを幾日か過ぎた夜に電話があり、それはそれまでの若手ではなく、編集部の古老からだった。相手はさいしょに「原稿のことなんですが」と言ったきり、押し黙っている。あとどれくらいで、とも、もう印刷所に入れないと、とも言わない。

いつもならその場を繕うことに腐心する僕にとって、この無言の圧力は重かった。黙っていられたら、こちらからなにか言葉を発するしかない。けっきょく怠惰な自分に鞭を打って必死で書き上げて入校して、それからしばらくしてその編集者に招かれた酒席で頭を下げたのだが、相手はそれを一笑に付していわく「いえ、私はこれまでに本を白紙で出したことはいちどもありません」

なるほど、老練とはこういうものか。僕は感心しながら、そこでちょっと不謹慎な想像をめぐらせてみた。もし書き手が僕のような小心者ではなく、海千山千のくせ者であったら、いったいどうなっていたか。たぶん電話の無言劇は朝まで続き、印刷所が悲鳴をあげたことだろう。叫べ、沈黙よ。

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