Olympus PEN E-P1 (5)
先代のペンは、いろんな意味で「筋の通ったカメラ」だった。つくり手の意志を感じさせる、と言ってもいい。
たとえばペンFの縦置きミラーやポロプリズム、それにチタン薄膜のロータリーシャッター。こういう他にあまり採用例がない技術には、ともすれば設計者の独善が見え隠れすることが多いのだけど、このカメラにはそういう印象がまったくない。積まれた技術のすべては「ハーフサイズの一眼レフ」という命題への最適解であり、しかも個々の技術の集積は、結果として見事な調和を生み出している。
フィルム時代のペンが今も愛好家を惹きつけて止まないのは、そういう設計者の意志と美意識が、シンプルなメッセージとともに伝わるからである。
ペンの生みの親・米谷美久さんは、日本のカメラ設計者としてはほとんど例外とも言える知名度を誇る、今様に言えばカリスマ設計者だ。なぜそうなったのかと言えば、彼の手になるカメラが写真の道具として魅力的なだけでなく、安易な人真似をせず、そして何より「誰にでも分かる明快なコンセプト」を感じさせるためだろう。
E-P1のデザインソースとなったペンFにしても、ハーフサイズの宿命である縦構図から縦置きミラーが導き出され、その必然として凝ったファインダー光学系が考案された。カメラ設計をこれほど鮮やかな方程式で解いてみせた人物は、たぶんオスカー・バルナック以来ではないか。
いっぽう、現代に甦ったペン、つまりE-P1にはそこまで筋の通ったストーリーは無い。意地の悪い見方をすれば、マイクロフォーサーズという新規格に合わせたボディに、往年の名機に似せた側(がわ)を被せたものともとれる。オリンパスがこのカメラのカタログで、「撮像センサーのサイズは従来のフォーサーズと同一」とわざわざ但し書きを付けたのも、(かつてのペンのように)記録サイズが小さいわけではありませんよ、と言いたかったためではないか。
この項のさいしょで僕がE-P1を「つかみどころがない」と書いたのは、実はこうした先代との比較で生じた疑問の所為である。つまり、今なぜペンなのか。
もちろん、先代のペンのコンセプトをそのままデジタルに置き換えることには無理がある。仮にセンサーを縦置きしてミラーやプリズムを載せたとしても、これは商品として成り立たない。背面の液晶ファインダーは横置きが必須(大画面化のためにはどうしてもそうなる)だからだ。といってセンサー横置きではボディにペンタ部の張り出しを設けなければならず、ペンのアイデンティティは失われる。
最初期のフジ・FinePixのように縦型のカメラにすればどうか? これなら上記の問題はすべて解決するが、あの美しいデザインはいったん御破算にして、ゼロからやり直さなければならない。つまりペンFのデジタル化はほぼ不可能ということだ。
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▲photo:Yellow on yellow. マクロエルマーをマイクロフォーサーズ機で使う場合、焦点距離はライカ判換算で130mm。手持ちに厳しい条件でも、E-P1ならボディ内蔵の手ブレ防止機能が使える(CPUを内蔵しないレンズにも焦点距離の手動入力で対応)。旧いレンズを使うとまるでフィルムのような絵になるところがこのカメラの底力。マクロエルマー特有の厚みがちゃんと出るのだから大したものだ。
Special thanks to MAYUMI.
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