夕暮れの18%(3)
18%とは、蕎麦でいえば「並み盛り」である。
いつも思うのだが、あれは大人ひとり分には少な過ぎる。だからといって最初から「大盛り」「特盛り」を頼むのも、これは粋な作法とは言い難い。足りなければもういちまい、なるべくならその間を焼海苔や板わさでつなぐ。それが正しい蕎麦喰いの作法である。
もともと蕎麦は江戸の昔には屋台でも供され、そこから広く普及したという。つまり小腹を満たす目的で食されたのだから、ざるの上にちょこんと盛られたくらいが、ちょうど良い。
だいいちに、つゆの塩っぱさに飽きる前に箸を止めれば、また立ち寄ろうという気も起きるではないか。
写真の露出も蕎麦の盛り加減といっしょで、過不足の無いことが肝要だ。フィルムとか撮像素子とかのイメージセンサーは、ようするに光の容れ物。つまり器(うつわ)だから、そこには定量というものがある。
小振りな器をつゆで満たしたら、そばを浸けたときに溢れるし、底の方にちょっぴり溜めたくらいだと、味がしない。まあそういう食べ方が好きなひともいるから、店も「止めろ」とはいえないだろうけど、モノゴトには万事程々という美徳がある。写真の露出は18%が「ほどほど」なのである。
カメラ内蔵の、または非内蔵の露出計で、プラスマイナスゼロという指示値が、反射率18%のニュートラルグレーを基準にしている、という話は前に書いた。針をそこに合わせれば、白無垢も喪服の生地も、おなじ濃度のグレーに写る。
ただしこれは画面全部がおなじ濃度の、つまり布とか壁みたいなものを写した場合。そんなものを撮る趣味のひとはあまりいない(もしいたとしても写真レンズには周辺減光が必ずあるから、完全に均一な濃度にはまず得られない)ので、画面の全体または一部を均した濃度を基準に考える。誰が考えるのかって? 露出計のなかに棲んでいる小人だ。
小人たちの考え方、というか仕事の進め方もいろいろなのだが、いちばん基本的なのは画面全体を測るやり方。これを日本では「全面測光」と称するのだけど、ちょっと含みに欠ける。英語のaverage meteringの方が、仕事の内容が分かりやすいだろう。
このやり方は、画面に写し込まれるものの濃度を、一切合切ぜんぶまとめて面積で割る。白黒の市松模様を撮れば、反射率はおおむね50%。まあ原始的というか乱暴な手法ではあるのだが、その答えを18%に近づけることで、たいがいのひとが撮る写真はハイライトからシャドーまでが綺麗に再現された、言い換えれば平均的な大人の小腹をほどよく満たす露出になる。
アベレージ18%とは、つまり「並み盛り」のことなのだ。
ではその18%という数字が、どういうイキサツで決まったのか。これが気になって調べているのだが、今のところよく分かっていない。ただなんとなく思っているのは、その数字を大昔に見いだしたひとたちは、スチル写真の現場ではなく、映画の撮影現場で働いていたのではないか、ということである。
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▲photo1:日没直前の川べりで。脊山さんが立っているのは仮設桟橋に至る通路の床下。川面に打ち込んだ鉄柱で穴空き鋼板を支える、その真ん中のところなので、足を滑らせると川にどっぷん。
このカットは夕日を鋼板で「ハレ切り」している。ただし川面の反射光はかなりキツく、オールドレンズには厳しい条件。ここで使ったビオゴンは戦後のコンタックスIIa用、戦前タイプと異なり反射防止膜の備えがある。コントラストはそれなりに出ているが、これはコーティングよりも反射光の入射角が浅いため。もっと深い角度で入射すると情報はさらに消失する。画面下端の服の色が抜け気味なのもハレーションが原因だ。
▲photo2:川に落ちそうなのはモデルさまだけではない。撮影者も柱にしがみつきながら撮っている。こんなときこそピント合わせとレリーズが片手でできるコンタックスの出番、と思ったのだがポーズの変化にはついていけないし片手では巻き上げができない。けっきょくピントは最短に固定して、外部ファインダーでフレームを確認しながら撮った。このカットは後ピン。アガリは上のカットより気に入っている。
ハレ切りが外れて直接画面に入った太陽は、画面外の余黒まで感光させるほど強力。それでもちゃんと写真になるのだから、昔のビオゴンはたいしたものだ。ただし露出設定は重要、本来は単体露出計で慎重に測るべき条件。この日はスタデラを家に忘れたので、別のカメラで取った数値をそのまま移した。
制作協力:脊山麻理子
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