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ENHANCED : メイキングセンス。by 中山慶太

ENHANCED

2011-04-03 | 東京レトロフォーカス別室

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 /  6.3mm F3.1 1/140sec. ISO64  / (C)  Keita NAKAYAMA

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 / 6.3mm F3.1 1/140sec. ISO64 / (C) Keita NAKAYAMA

テレビで岡本太郎の伝記ドラマを観た。めっぽう面白かった。
あれだけキャラの立った人物を描くのだから、そりゃあ面白くて当然だわな、とも思う。でも、ゲージツは爆発で完了するかもしれないが、ドラマは演出や筋立てに起伏がないと成立しない。
「TAROの塔」は、そのあたりの配剤が巧みで、稀代のトリックスターともいうべき芸術家の虚実を丁寧に描きつつ、第一級の娯楽作品に仕上げて見事だった。昨年の「龍馬伝」といい、このところのNHKドラマは爆発の連続だ。

ただし、太郎が遺した名言「(芸術は)うまくあってはならない」に照せば、このドラマは演出も脚本も俳優も、少々ウマ過ぎたかもしれない。特に母・かの子を演じた寺島しのぶの凄さは、もう人間国宝の認定証に紫綬褒章を添えて熨斗もつけて差し上げてください、と言いたいレベル。おかげで他の役者たちの熱演も、ちょっぴり影が薄くなってしまった。

劇中、その寺島が真っ赤な絵の具を顔に塗りたくる場面がある。シャーマンとしての岡本かの子が、息子太郎に芸術の精神を注入する重要なシーン、だったと思うのだが、寺島の存在感に圧されて、話が頭に残っていない。それはつくり手のねらい通りとしても、他の俳優だけでなく脚本まで「飛ばして」しまうのだから、強過ぎる役者は使い方がむつかしい。

僕らが写真を撮るときでも、似たような悩みはある。絵に力を与えたい、光と影の印象を強めたい場合など、なるべく強い光の条件を選ぶ。そうすると暗部が沈んで画面が締まるし、発色も光の強さに比例して純度が増すからだ。
では、そこにある問題はなにかといえば、強い光の条件では情報が圧縮され、人や物や情景が本来宿している微妙な表情が伝わりにくくなることがひとつ。デジタル画像につきまとう白飛び黒潰れなどは、その分かりやすい例だけど、フィルムでも似たようなことは起きている。

もうひとつの問題として、写真の技術では見かけ上の解像度を上げるため、コントラストを利用している、ということがある。これは特にデジタル画像でよく用いられるテクニックで、明暗差が大きい部分の境界を、ちょうどアニメで輪郭線を描くようにして強調する。電子映像では「オーバーシュート」とか「アンダーシュート」と呼ばれる処理だが、もともとはNTSCやPALなどのプアな画像資産を見栄えよくするためのもの。いわば小手先のまやかしである(photoshopなどでお馴染みの「アンシャープマスク」も、結果としておなじ現象が生じる)。

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 / 6.3mm F3.1 1/45sec. ISO100  / (C)  Keita NAKAYAMA

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 / 6.3mm F3.1 1/45sec. ISO100 / (C) Keita NAKAYAMA

もちろん、この種の画像処理の通例として、効果の度合いは調節できる。「スレッショルド」とか「しきい値」と呼ばれる数値を加減すれば、滲みを抑えつつ輪郭が現れないポイントが探せるのだが、それをユーザーに開示する機種はあまり多くないし、正しく使えるユーザーも少ない。特に初心者向けのコンデジは、輪郭強調をかけ過ぎた設定で売られることがほとんどで、これは店頭効果を意識してのことだろう。

とはいえ、悪いことばかりではない。電子的に輪郭が強調された画像には独特のメリハリがつくし、モノや図形のカタチをはっきり再現できる。つまりペン画とか新聞の複写なら、あまり問題が無いというか、少なくともボケボケの画像よりはずっと上等だ。
だが、写真のように濃淡のグラデーションがトーンを生み、そのトーンがモノのカタチを立体として伝える表現では、こういう輪郭強調の技術に頼り過ぎると、困ったことになる。画面の奥行き感が不足した二次元的な絵、つまり昔のテレビアニメのセル画のようになりやすいからだ。

以前のデジタルカメラ(といってもごく最近までは高級機でもその気があった)では、圧縮された階調とそれにともなう情報の整理、そしてモノを線で描くようなメリハリの付け方が目に付いた。僕みたいにフィルムのトーン再現に惹かれる人間は、それが我慢できなかったものだけど、今はずいぶん改善され、画面に奥行きが出てきたと思う。
それでもまだ、強い光の条件では、特有のデジタル臭さが顔をのぞかせる。微妙な表情を塗りつぶすような、後づけの技術による整理と強調。それで世界を切り取ろうとする撮り手の側に、あの岡本太郎のような確信があれば、そこに表現は成り立つだろうか?

いや、写真であれをやるのはちょっと無理だ。なぜって写真とは「描くもの」ではなく「写し取る」ものであって、誰もそこからは逃れられないのだ。
だからこそ僕らは、撮った写真を目を見開いて観察して、意にそぐわぬところをつくり手に伝えなければいけない。小手先のまやかしは、もう止めにしましょう、と。本物には本物の力があるのだから。

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▲photo01:このところ使い続けているケータイ付きコンデジで、午後の弱い光を撮る。水面に反射した空と、水面に浮かぶ藻の微妙なトーンの表現は、このカメラが得意とする部分。デジタル臭さがあまり目立たず、画面に自然な奥行きが出ているのは、この画像がトーンの変化だけで描かれているから。つまりコントラストによる輪郭強調を「かける部分がほとんど無い」ためだ。
画面左側に見える枯れた葦の茎は、やはりシャープネスが強過ぎる気もするが、この画像サイズなら笑って済ませられるだろう。ゆめゆめ線画的な画像のトリックに惑わされぬよう。

▲photo02:雑木林の日だまり。木々の枝が西日をディフューズして、ほど佳いコントラストになっている。暗部が潰れすぎないように露出補正を入れているが、それでも明暗差の大きい部分が生じ、そこに輪郭強調が顔をのぞかせる。さて、いちばん手前にあるのはどの枝でしょう。
こういうカメラの性格上、どうしてもシャープネス強調が必要なら、コントラストの強弱に応じて「しきい値を可変させる」方法もあると思う(もう実用化されている?)。効果の調節や解除ができればそれに越したことはことはないが、操作メニューが煩雑化するのは避けたいところだ。

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