Ferrania Solaris
バカは休み休み言わないといけない。
なぜそうなのか。よく分からないのだけど、たぶんいっぺんに聴かされると疲れるからだ。または、真面目に取り合っていると、際限なく時間がかかるからか。
ただしそういうやっかいな相手の話というのは、妙にノリが良いだけでなく、ときおりハッとするような真実が含まれているから始末が悪い。そう、まるでイタリア人のおしゃべりみたいに。
フェラニアのフィルムについては、それが存在することは知っていたけれど、いちども使ったことがなかった。
日本ではトイカメラファン御用達、みたいな売られ方をされていることが、理由のひとつ。「レトロな風合い」という惹句も、僕にはいまいちピンとこなかった。そういう個性もあっていいと思うけど、僕の場合はカメラとレンズの個性だけで、もうじゅうぶんに「お腹いっぱい」なのだ。
いや真面目な話、旧いカメラで使うレンズは、かなり偏った描写をするものが多い。露出がちょっぴりズレただけで、コントラストや発色が転ぶ。おなじカメラにつめたフィルムの36コマが、まるで別のカメラで撮ったみたいに写ることもある。
なぜそうなるのか。ちゃんと理由を考えて、なるべくアガリを揃えるようにしないと、気が済まない僕みたいな人間にとって、そこにフィルムの違いまで加わると、もう話がとっちらかって困るのである。
そんなわけで普段使うフィルムは、その時期にもよるけど、感度ごとに二つか三つ。それも、なるべく入手しやすい品から選ぶことにしている。
だからフェラニアの銘柄は縁が薄いままだったのだが、ある撮影の直前になって「フィルムが足りない」という大ポカに気づいて、空を見上げたときに、あの濃紺のパッケージが天から降って来た。のではなくて、奇特な方が授けてくださったのだった。どうもありがとう、Tさん。
借用したのは「Solaris FG Plus 400ISO」。今現在ふたつあるソラリス銘柄の、感度の高い方だ。でもその日の撮影では予備のカメラに詰めて、なるべく無難な条件で撮った(初見のフィルムだと無茶はできない)ものだから、例の「レトロな風合い」は実感できずじまい。
そこで日を改めて、フィルムの差が出やすい条件で撮ってみた。結果はなるほど、売り手の言葉どおりに懐古風味の画質である。フジやコダックでこういう色調の、というより、こんなふうに色が抜けるフィルムを探すなら、たぶん二十年かそれ以上前まで遡らないといけない。
これでなければ、の個性は確かにある。使い方を間違えなければ、かなり面白い写真が撮れることは間違いない。ただ気になるのは、このレトロな描写が「どこまで本気か」ということだ。
つまりこれは技術が足りなくてこうなったのか、単なるウケ狙いか、それとも意図的につくられたものなのか。期待を込めて記せば、もちろん意図的な絵づくりに違いない。フェラニアの技術者にとって、この低コントラストの画質こそ「写真芸術のあるべき姿」なのだろう。
ダヴィンチやミケランジェロの末裔がつくったフィルムなのだから、そうでなくては困るではないか。
とまあ、そんな思い込みを書く前に、もうちょっと企業と製品をちゃんと調べようと、フェラニアの公式サイトを訪ねてみたところ。でかでかと「DIGITAL FERRANIA」の文字が踊るページがいちまいだけ。
馬鹿も休み休み言いなさいって。
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▲photo1:日没直前に撮影したカットから、画面の一部をトリミング。プラス1段の露出を与えているが、拡大率を考慮しても粒状感はあまり良くない(後処理でコントラストを上げるとさらに悪化する)。ただし明暗のどの階調の部分でもわりあい均質な粒状なので、画面全体を眺めると印象がいい、という不思議な画質。ISO400でこの色とコントラストはなかなか貴重だ。
▲photo2:上の写真のフルフレーム。ピントから外れていく部分の軟調描写はコニカAR40ミリに独特のもの。コートの暗部階調もそれなりに出ているように見えるが、これはフィルム上である線を超えると「どかんと沈む」。ここではリニアな階調感を出すため、都合三回スキャンした画像を重ねている。どうもこのフィルムの特性として、トーンは中間階調からハイライト寄りに偏っている気がする。
トイカメラでの日中撮影は「ゆるふわ専科」になって喜ばれそうだが、こういう条件での撮影は悲惨なプリントになる可能性も。
▲photo3:カラーネガは露出オーバーに強い。これはプラス3段の露出を与えたもの。ネガ上では明部の階調はある程度残っているが、ここではリバーサル風に飛ばして処理した。暗部階調はまだ2段くらい粘ると思う。
Special Thanks to Yuko MIYASAKI.
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