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銀座の七丁目の蕎麦やの猫 : メイキングセンス。by 中山慶太

銀座の七丁目の蕎麦やの猫

2011-03-02 | 東京レトロフォーカス別室

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 /  6.3mm F3.1 1/8sec. ISO800  / (C)  Keita NAKAYAMA

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数寄屋橋界隈で西日を追っていると、肩に「どしん」と、なにかが落ちてきた。見わたせば、歩道に黒い影。いや影はなんでも黒いに決まっているのだが、毛並みもみっしり黒い猫が一匹、着地を決めたポーズでこちらを見上げている。
おいおい、人の肩をクッションに使うなよ。と嗜めても、ぴんと立てた耳はまるで東風を射るが如し。鼻先をつい、と陽に向け歩きはじめる。そうして猫足の十歩ほど進んだところで振り返り、鉤の手に立てた尻尾を揺らす。
誘惑に負け、影を踏まぬ間合いを保ちながら後を追った。

暖色のコリドー街を左に中折れて大通りを渡る。歩道と信号のルールをちゃんと守るところは、流石に東京の猫である。そう感心する隙もあらばこそ、そこから先は勤め帰りの足下を縫いながらすいすいと。店の灯りをふたつみっつ踏み、いきなり裏路地に尻尾が消える。
見失うまい、とこちらも小走りをするのだが、狭い路を和装の女性に阻まれる。壁に背中をつけてのすれ違いさま、襟足からほんのすこしの白檀が香る。来た路にその痕を残さぬところが、猫とよく似ている。

薄暗い小径がいきなり開けたとき、猫は傍らの旧いビルの、昔風の蕎麦やの戸口で待っていた。
「なんだお前、客引きかい」
それにしても、数寄屋橋から歩いて、ここは銀座も七丁目。温泉街なら駅前の坂を下って土産物屋の軒先を抜け、ちょうどに橋を渡る頃合いだ。
ご苦労さん、と声をかけて引き戸を開くと、猫は帳場をすり抜けて店の奥に向かう。

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 /  6.3mm F3.1 1/25sec. ISO800  / (C)  Keita NAKAYAMA

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今どきの小洒落た蕎麦やなら、そろそろ暖簾をかけようか、という時刻だが、この店内はもう賑わっている。そのいちばん奥の壁ぎわの席に、猫と差し向かいで落ち着く。空いた椅子に荷物を降ろし、上着から取り出したカメラをテーブルに置き、壁の短冊とおなじに黄ばんだ品書きに、さあ手を伸ばそう。という絶妙のタイミングで、若い花番さんがやってくる。
ああ、その猫なんだけど、というこちらの問いを封じるように、テーブルにことりと灰皿が置かれ、「決まりましたらお呼びください」。さすがに煙草を喫む猫もいないだろうと、灰皿はありがたく独り占め。さてと、何を手繰ろうか。

見晴らしの良い調理場から運ばれてきたのは鴨せいろ。どこか懐かしい味である。長葱の青味が鴨の脂に挑みかかり、その諍いを柚子が取りなすという、お馴染みのあれではない。器のなかでの決闘に心を躍らせる者にとっては、寧ろ拍子抜けするほどにあっさり、さっぱりだ。
でもこれがこの店の流儀なのだろう。なあ、そうだよなあと、猫に話しかけながらひと息ついて、写真をいちまい。「カシャリ」と、つくりもののシャッター音が辺りに響く。どうも無作法ですみませんねえ、いえこいつがね、消せないんですよ。べつだん消す必要もないと思うんですけどね、出物腫れ物みたいなもんでね。でもまあ、もうすこし筋のいい音にしてくれたらと。

そんな言い訳を頭のなかでひとしきり。せいろの残りに箸をつけていると、隣の会話が妙に気になりはじめた。
「だからさ、團伊玖磨の本質は“オペラ作曲家”なんだよな」
「あら、あたしは交響曲しか聴いてないわ」
「いやいや、オペラだよ。いっぺん聴いてごらんね。凄いから」
ふむ、そうなのか。でもどこに行けば聴けるんだろう?

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 /  18.9mm F5.6 1/10sec. ISO800  / (C)  Keita NAKAYAMA

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猫はそんな会話に聞き耳を立てるでもなく、椅子にちょこんと座って、こちらの箸の先を目で追っている。行儀よくしているご褒美に、温めのお茶を一杯。わざと残した鴨つゆのために、蕎麦のおかわりも。
そこで「せいろ」と頼んだのに、奥の調理場に通った注文は「五番、盛り一枚」。そういえば、蕎麦やの品書きに「せいろ」は無い。通ぶってもお里が知れるよなあ、と猫に愚痴をこぼす。
運ばれてきた「せいろに載った盛り」には、ちゃんと新しいつゆも付いている。その鰹の出汁の香ばしさに負け、冷めた鴨つゆはそこでお役御免。

猫舌に合うまでお茶が冷める間に、もういちどカシャリとシャッターを切る。そのままでは芸がないので、ピントは液面に映った照明器具に。ほら、ちょっとはゲージツ的な写真になっただろうと、猫の鼻先に画面をかざす。
「そうかしら、なんにも面白くはないと思うけど」。そう言いたげな目がしゃくにさわるのは、撮ったばかりの写真をその場で眺める、という行為に、どこか後ろめたさを感じるためだろうか。
いやいやそうではなくて、もっと別のところに異物感がある。いつもの自分の、錆びた頭とおなじくらいに旧いカメラなら、この店の空気を乱さずに済んだ気がするのだが、あいにくと今日の鞄にはそれがない。

せいろに載った盛りを平らげ、そこでようやく灰皿の出番。浅く吸い込んだ煙を吐き出すと、また隣の会話が耳に入る。
「君はそうやっていつも小津を持ち上げるけど、俺はだんぜん溝口だね。画面の深みがまるで違う」
オペラの次は映画か。さても趣味のひろいひとたちだと思えば、これが先ほどの男女と違う。いつの間にか客が入れ替わり、年配の紳士がふたり、贔屓の監督を肴に、口角泡を飛ばしている。品書きに「酒のつま」も多い店だが、これなら「盛り」でじゅうぶんに違いない。

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 /  15.7mm F5.1 1/12sec. ISO800  / (C)  Keita NAKAYAMA

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さて。空いた小腹も満たしたし、店の雰囲気も満喫したしと、荷物を片手に立ち上がる。その椅子の脚が立てた音で、ふと、今しがたの異物感に思い当たった。
そうだ、この店には佳い音がある。洗い場の陶器が重なる音、せいろが盆で跳ねる音。歯切れのいい花番さんの声、テーブルで交わされる品のいいおしゃべり。なにより、大勢の客が蕎麦を手繰る音に、あのずるずると無粋な雑音が目立たない。
これは場所柄か、それとも客筋か、またはその両方の所為なのか。

「まあ、こういう場所に似合うシャッター音なんて、通らない注文だよな。今のカメラには」
そのつぶやきが合図のように、猫はこちらを見上げ、ぴょんと椅子から降りて、無音で帳場に早足をする。
待て待て、次の客を引く前に、あの裏道で写真を撮らせてくれと、財布を片手にどたどた後を追った。

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制作協力:脊山麻理子

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