GRAIN —粒状—

2011-05-12 | 東京レトロフォーカス別室

Konica Autoreflex T3 / Hexanon AR50mmF1.4 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

Konica Autoreflex T3 / Hexanon AR50mmF1.4 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

重いコートを洗濯に出す前に、ポケットを探ると、なぜだかひと粒のライ麦が現れた。
いったいどこから入り込んだのか、皆目見当がつかない。

日本では「黒麦」という別名もあり、一部で栽培もされているようだが、ライ麦は普段あまりお目にかかれない穀物である。目にするよりも口にすることの方がはるかに多く、特にドイツ料理好きにはお馴染みだろう。
ライ麦の粉で焼き上げたドイツのパンは、黒に近い濃褐色で、水分を多く含んでずしりと重い。鼻に抜けるような酸味があるのは、発酵に乳酸菌が作用するためだ。それを嫌うひとも多いようだが、濃厚なベルギービールなどにこれほど合うパンは他にない。しかも水分が飛びにくく、日持ちがする。

そういえば、いつぞや仕事でウィーンに滞在した折、ホテルの朝食ビュッフェにこのパンがずらりと並んで壮観だった。ゲストは自分で好きなだけ切って皿に盛る。黒い塊を純白のナプキンで押さえつけ、刃渡りのあるブレッドナイフで斬りつけるわけだが、一片を切り出すのにどえらく骨が折れた。ただ硬いだけでなく、内部までみっしりと密度がある。ドイツの刃物が優秀なのは、野菜や肉ではなく、パンに鍛えられたためなのだ、と思った。

Konica Autoreflex T3 / Hexanon AR50mmF1.4 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

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そうして慣れない作業に難渋して、ふと振り返ると、後ろに列ができていたりする。テーブルに戻ってそれを食せば、歯で噛みちぎるのにも力が要る。やれやれとため息をつきながら、次の朝もまたその次の朝も、おなじ作業を繰り返す。短い滞在中に、僕はすっかりドイツパンの虜になっていたのだった。

ドイツパンの食感は独特だ。パンというより、押し固めたカステラのようでもある。普通の小麦粉で焼いたパンと違って、粉っぽさはあまりない。「もっちり」と言えば聞こえはいいけど、噛んでいて顎が疲れる。味も見た目そのままにビターで、だからバターはあまり合わない。何か付けあわせるならチーズ、それもシェーブルのようにクセのあるものがいい。パンの酸味と山羊の乳の臭みが調和して、まるで地声の民謡のような味わいが生まれるのだ。

そんな渋くて重い味わいのダイニングに射し込む光を、僕はカメラのレンズ越しに見ることがある。それはデジタルの液晶モニターではなく、またライカなどの素晴らしく明晰なファインダーのなかでもない。もっと昔の一眼レフの、ざらりとした質感の、きめの粗い磨りガラスの焦点板を覗いたときだ。そこにはバターのように溶ける光とは別の、ほろ苦くて暗く、どこか謎めいた陰影が映っている。

Konica Autoreflex T3 / Hexanon AR50mmF1.4 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

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ただし、もしそういう視野を持つカメラで写真を撮っても、目で見たような画像は、まずぜったいに手に入らないところが惜しい。ファインダーに映る光景は、きめの粗い磨りガラスの焦点板に映った虚像に過ぎないのだ。

そこで、どうすればその画像に近づけることができるかを考えてみる。ざらりとした質感や渋めの発色を求めるなら、やはりフィルム写真に換わるものはない。磨りガラスのテクスチャーは、フィルムの粒状によく似ている。デジタルでそれをつくろうとすると、目の粗い小麦の粉ならぬ「紛い物」になるので、要注意。

フィルムの粒状を絵づくりに役立てようとする試みは、昔からいろんなところで行われている。手っ取り早いのは高感度フィルムをカメラに詰めること。ふた昔も前のフィルムであれば、それで確実に画面が荒れた。ただし発色の渋さも相当なもので、人物の肌色など、ややもすれば保存食のようになったものだ。

その点で最新の高感度フィルムは、焼きたてのパンのような発色を保ちつつ、適度な粒状の「荒れ」がある。そう思って、市場に残る数少ない銘柄を片っ端から試してみたのだが、どうやっても粒が上手く揃わず、挽き方の違う小麦をごちゃ混ぜに捏ねて焼いたパンのようになってしまう。これはどうにも、舌触りがよろしくない。

Konica Autoreflex T3 / Hexanon AR50mmF1.4 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

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諦めかけたときに、まったく別のやり方を思いついた。低感度のフィルムを露出過多で使って、超微粒子のネガをつくり、その画像の一部を切り出す。つまり拡大率を上げて粒状を目立たせるのだ。これなら粒状が綺麗に揃うし、画像のざわつき感は露出と拡大率でコントロールできる。
ただし露出と拡大率の関係を含め、事前のテストが必要だし、本番撮影もファインダー像の一部だけを見るので(レンジファインダーと長玉の組み合わせを想像して欲しい)、かなり神経を遣うことになる。

ここに貼った画像は、元画像の7%を切り出したもの。残りの93%は捨てている。デジタルならなんとも思わないところ、フィルムでそれをやるのは、パンの真ん中だけ食べて硬い部分を残すようで、すごくもったいない。できれば耳まで残さず食べたい、パーフォレーションまで使いたいところだけど、この7%を生かすためにやむを得ない。

ちなみにフィルムの粒状は、英語で「グレイン」と呼ぶ。これは欧米の一部で用いられる重さの最小単位で、もとは小麦のひと粒に由来する。粒状の良いフィルムを「ファイングレイン」と称するのも、綺麗に粒の揃った小麦になぞらえたものという。
コートのポケットから出てきたライ麦も、ひと粒1グレイン。この穀物の畑をタイトルにした小説を書き上げた作家はアメリカ人だが、彼の母親はスコットランド系で、タイトルもその国の詩人の作品から採られたそうだ。

たぶんライ麦の粗い粒には、見かけの豊かさとは別の、もっと厳しい光と影の記憶が詰まっているのだろう。そういう記憶の風景は、ぜひフィルムの粒子で描きたい。

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制作協力:脊山麻理子

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