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The Legend of K’s (2) : メイキングセンス。by 中山慶太

The Legend of K’s (2)

2009-12-17 | 東京レトロフォーカス別室

Konica Acom-1 / Hexanon AR 40mm F1.9 /  Kodak Portra 160NC / (C)  Keita NAKAYAMA

Konica Acom-1 / Hexanon AR 40mm F1.9 / Kodak Portra 160NC / (C) Keita NAKAYAMA

冷蔵庫に溜め込んでいたコニカ製フィルムを使い果たしたのは、もう一年以上も前のことだ。
業務用と称する簡易包装のそれは、中身がセンチュリアそのものだと、これはメーカーのひとにそっと耳打ちされた話。このフィルムは僕のスキャナと相性が良く、気持ちのいいトーンが思うように出せた。流石に最後の一本を使ったときには、なんとも言えない気分になった。これでコニカのカメラにコニカのフィルムを詰めることができなくなるからだ。
市場にはセンチュリアのブランドを冠した別のフィルムが流通していたけれど、それはコニカ製とは似ても似つかぬ米国製で、スキャナとの相性も悪く、安くても使う気になれないシロモノだった。

コニカという会社の歩みについては、web上でいろいろな情報が取り出せる。ただし会社そのものが業態を変えながら今も存続しているとはいえ、すでに終了した事業については、公式サイトでもあまり詳しく語られていない。たぶん「そっとしておいて欲しい」のだろう。

この会社の系譜を辿っていくと、明治6年(1873年)に東京府麹町の薬問屋、小西屋六兵衛店が写真と印刷材料の取り扱いをはじめたところまで行き着く。現存する写真関連の会社として日本最古、というわけでなく、その二年前に浅沼商店(現在の浅沼商会)が開業している。いや、コニカはもう写真関連とはいえなくなってしまったのか。
そこから先の変遷もよく知られているところで、明治9年に小西本店と社名を改めて日本橋に移転、明治35年には六櫻社という工場を開設する。乾板や印画紙の製造を行うこの工場は、東京市の豊多摩郡淀橋町に置かれた。なぜその場所が選ばれたかは不明だが、敷地の隣には出来たばかりの浄水場があり、印画紙や乾板製造に必要な大量の用水の安定供給を見込めたためだろうか。郡の役場も近くにあったが、鉄道駅は遠く、馬車鉄道の路線もない長閑な場所だった。
ちなみにこの工場の敷地は、現在の東京都庁舎に隣接する新宿中央公園の真ん中(他の部分は淀橋浄水場の跡地)にあたり、そこに建てられた「写真工業発祥地記念碑」でその場所を知ることができる。

Konica Acom-1 / Hexanon AR 50mm F1.7 /  Kodak Portra 160NC / (C)  Keita NAKAYAMA

Konica Acom-1 / Hexanon AR 50mm F1.7 / Kodak Portra 160NC / (C) Keita NAKAYAMA

六櫻社の六は小西六兵衛店から、櫻は社主が友人より譲り受けた商標という。これは当初、工場名に過ぎなかったのだけど、やがて彼らがつくるカメラのブランドにもなり、またレンズやカメラ、フィルムの商標もそこから採られた。「六=ヘキサ(ヘキサーやヘキサノンレンズの名称)」「櫻=チェリー(初期の暗箱カメラの名称)=さくら、サクラ(カメラとフィルムの名称)」である。

時代は明治から大正を経て昭和に入り、その間に小西本店は合資会社小西六本店に改組、写真館向けの大型カメラからアマチュア向けの小型カメラ、そしてフィルムや印画紙などの写真用品を手広く手がける総合写真関連メーカーに成長していく。この頃に彼らが手がけたカメラやレンズには、「国産初」を謳う製品が数多くあり、特にカメラの心臓部にあたるシャッターやレンズを自製していたことは注目に値する。
とはいえニコン(の前身にあたる日本光学工業)が大正の半ばに生まれたばかり、のちにトプコンとなる東京光学機械がカメラ製造をはじめるのが昭和12年のこと。キヤノンなどのカメラ専業メーカーはまだ影も形もない時代だから、競争相手はさほど多くはなく、また製品のほとんどは「舶来もの」の模倣に過ぎなかった。
だが小西六をはじめとする写真関連産業は、光学機器の国産化を推進する政府の援助を受けつつ、着実に成長していく。そこには欧米の技術を貪欲に吸収しながら発展した日本工業界の、ひとつの典型を観ることができる。
「坂の上の雲」ならぬ「浄水場の隣の桜」は、こうして国産カメラとフィルムの象徴となっていった。

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▲photo1:背景に溶け込まない女。フィルム時代の一眼レフカメラを好んで使う娘は多いが、これほど持つ姿が「決まる」奴を僕は他に知らない。ちなみに本人の愛機はこのFE2ではなく、ひとつ前のFEだそうだ。撮影レンズは伝説のパンケーキ、AR40ミリ。ややピーキーな特性のレンズだが、ツボにはまったときの立体感は素晴らしい。

▲photo2:いわゆるひとつの串刺し構図。これを忌み嫌うひとも多いみたいだけど、僕はあまり気にしない(その代わりに水平垂直や歪曲はひといちばい気になる)。カメラは上とおなじで、国産初の本格樹脂外装一眼レフAcom-1。レンズは当時の純正組み合わせでAR50ミリの暗い方。「70年代半ばのビギナーセット」のつもりでお手軽に扱うと、けっこう痛い目に遭うんだな、これが。

Special thanks to YUKO.

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