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Looking for Hipgnosis : メイキングセンス。by 中山慶太

Looking for Hipgnosis

2012-06-30 | 東京レトロフォーカス別室

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 /  6.3mm F3.1 1/750sec. ISO64  / (C)  Keita NAKAYAMA

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 / 6.3mm F3.1 1/750sec. ISO64 / (C) Keita NAKAYAMA

それは散歩のとちゅうに突然現れる。
待ち構えていても、出くわすことは滅多にない。罠を仕掛けてもまず捕まえられない。こちらが油断している隙を狙ってくる。なぜか知らないが、そういうことになっている。

そういうことになっているから、カメラはいつも手放せない。手放せないのだが、常に持ち歩くのはすごく気が重い。だから今まで写真に撮ることができなかったのだけど、ようやくそれが叶う日がきた。例のケータイ型カメラを手に入れたことで、奴の姿を捉えることに成功したのだ。

奴って誰かって? その話をすると長くなるので、この本とかこちらの本のページでも捲ってみて欲しい。気の効いた本屋なら置いてあるだろう、たぶんきっと。

近場で探せないひとのためにちょっぴり書いておくと、hipgnosis(ヒプノシス)とは、70年代ロックのアルバムジャケットを数多く手がけたデザインチームのことだ。あなたがロック小僧だったなら、彼らのイマジネーションの欠片を、きっとレコード棚に収めていたと思う。あの有名な牛のジャケットも空飛ぶ豚も、ヒプノシスの仕業だった。
僕が写真に収めようとしている「奴」というのは、そのヒプノシスのアートに頻出する「何か」である。

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 /  11.2mm F11 1/390sec. ISO64  / (C)  Keita NAKAYAMA

docomo L-03C / Pentax 3X Optical Zoom 6.3-18.9mm F3.1-5.6 / 11.2mm F11 1/390sec. ISO64 / (C) Keita NAKAYAMA

そういう過去の遺物に、なぜか散歩の途中ででっくわす。見慣れた風景をすこし傾けたり、強い日差しの傍らに、じっとうずくまる影を凝視すると、そこに「奴」が現れる。
なぜそうなるのか、はよく分からない。たぶん視覚的な記憶が何かの弾みでフラッシュバックして、ありふれた日常に白昼夢が入り込むのだろう。

そういう幻想が、たとえばルドンの絵画みたいに上等ならば、気に病む必要もない。それがヒプノシスあたりだと、どうにも底が浅い気がするのは、あの時代に共時性を持ってしまった者ゆえの偏狭さだろうか。

思うに、70年代という時代は、皆がどこかハイになっていた。眼に映るものや手に触れるものすべてに、宇宙の真理が作用すると信じていた。そういう状況で意味ありげなものを見せれば、現実逃避の扉を探す人たちは喜んで飛びついたのだ。
そういう安直なトリップから今も醒めていないといえば、まあ身も蓋もない。でもそれもイイじゃないか。日常に縛りつけられたイメージを、手近な風景にレンズを向けることで解き放てるのだから、写真とはつくづく便利なものである。

ちなみにヒプノシスとは「催眠療法」を指すのだそうだ。デザインと同様になにやら深い意味が込められていそうだけれど、あまり真に受けない方がいい。夢は寝ている時に見るものだ。

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▲photo01:なぜかいつも同じ杭で羽根を休める黒い鳥。見上げた空には三日月が浮かぶ。画面の下側を切ればもっとシュールな絵になるところ、敢えて地上の風景を入れて撮る。こういう写真はネタバラシを仕込んでおくことが肝要、それをやらないと似非っぽくなる。

▲photo02:午後5時の影と赤いスカート。ヒプノシス的な白昼夢感を引用するなら、対になる人物を置きたいところだけど、路上スナップでそれを狙うと日が暮れる。ここでは長い影にその役を負わせた。画面構成では右上のハイライトと対になるよう、鈍く光る金属の棒を画面左下に入れてある。露出補正はマイナス2EV。

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