Portraits (5)
二十世紀を代表するピアノの巨人、スヴャトスラフ・リヒテルの名が西側で知られたのは、一枚のレコードがきっかけだった。件のラフマニノフに先立つこと一年前、1958年にブルガリアの首都で録音された「展覧会の絵」の実況録音である。
ムソルグスキーの原典版であるピアノ譜を使った演奏は、それまでポピュラーだった編曲版(リムスキー=コルサコフによるピアノ編曲、またはラヴェルによる管弦楽編曲)に慣れ親しんでいた音楽愛好家にとって、まさに驚天動地といえるもの。軽やかな導入部「プロムナード」から大団円ともいえる終結部まで、猛スピードで軽々と弾いてのける技巧の冴えもさることながら、随所に聴かれるその奥深い感情表現は、半世紀が過ぎた今でもまったく色褪せることがない。
ちなみにその終結部は、リヒテルの生誕国であるウクライナの首都、キエフに造られるはずだった巨大建築をモチーフとしている。
キエフという名前のカメラは、戦争が終わってしばらくの間はコンタックス(戦前のレンジファインダー機)そのものであり、時代が下ると独自の改変が施されて少しずつ違うものになっていく。これはおもに「造りやすさ」を主眼としたものであったため、のちのちの写真機マニアからは「品質がどんどん落ちていった」と批判されるところである。でもそれを言ってしまうと、M型ライカだって似たような部分はあって、何十年ものあいだ造り続けられたカメラは時代ごとの工業の変化、生産現場の事情に対応せざるを得ないのだから仕方がない。
工業製品の品質について言えば、70年代から80年代にかけての英国製品も、それは酷いものだった。僕もその時代の英国車に乗っていたことがあるけれど、電装品の駄目駄目ぶりにはため息も出なかった。リレーなんか、もう安手の懐中電灯みたいなつくりだった。あれで雨の多いイギリスで故障が起きないわけがない。
日本人の感覚からすればカイゼン箇所が山盛り、なのになぜそれをやらないのかといえば、「それはそういうものだと思っている」つまり機械を信用していない。というか、たぶんイギリス人は不完全なものが好きなのだろう。僕ら人間とおなじように。
そういう観点からすると、ウクライナのカメラ、特に初期のキエフはもの凄く上等なつくりである。これは日本とおなじように機械信仰があったドイツの製品を、ほぼそのまま再現したのだから無理もない、とも言える。ただし当初の立ち上げには相当な苦労があったようで、生産に従事する労働者をドイツに送り込んで技術を習得させたらしい。
機械式カメラを弄ったことのある人ならすぐ分かるだろうけど、戦前のコンタックスは恐ろしく複雑で精密で、また組み立てに要する工程数が桁違いに多い。おなじ時代のライカと比べてもそうなのだから、他のカメラとの比較は推して知るべし。
しかもキエフの生産を担当した、というか社会主義のシステムのなかで割り振られたアーセナル工場は、戦前には銃や大砲などを専門に造る機械工場だった。鉄砲屋さんに精密カメラとは、またずいぶん乱暴な話だが、鉄砲にもそれなりに精密な部品があるはずなので(僕はそっちの道にはまったく暗い)、生産移転には好適と思われたのかもしれない。
リヒテルのような天才は、たぶん何百万人にひとりか、あるいはもっと小さな確率で生まれてくる。最初のコンタックスを設計したハインツ・キュッペンベンダーもそういうひとだった。でもそういう才能を天から授からなかったひとたちだって、努力すれば技術を身につけることができる。
ウクライナはひとりの天才を生み出し、また才能の閃きが溢れるカメラを長きにわたって造り続けた。どちらもドイツにルーツがあるのは、たぶん偶然だろうけれど、でもソビエトという特殊な体制がその才能を保護し、磨き上げたことは事実なのである。
(この項続く)
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▲photo:これも前回と同様にアーセナル製ミール24Nで撮ったもの。このサイズだと解像感が高く見えるが、実際には大したことはなく、最近の安価なズームレンズにも敵わない。別の見方をすればアナログ的に適度な甘さを残した描写とも言える。上と下の画像調整の違いは前回を参照。色調が違うのはコントラストと彩度が連動するため。コントラストが見かけ上の解像感に影響することも分かるだろう。上の画像のようなイメージで撮るなら、わざわざカメラやレンズにこだわる必要もない、だろうか?
Special thanks to MAYUMI.
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