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Portraits (6) : メイキングセンス。by 中山慶太

Portraits (6)

2010-01-29 | 東京レトロフォーカス別室

Nikon FE2 / Mir-20N 20mm F3.5 /  Reala ACE / (C)  Keita NAKAYAMA

Nikon FE2 / Mir-20N 20mm F3.5 / Reala ACE / (C) Keita NAKAYAMA

推理小説に「安楽椅子探偵」というジャンルがある。椅子に座ったまま事件を推理する、つまり犯罪現場の実地検証や関係者への聞き込みを省き、「又聞き」の情報だけで解決する。そういう快刀乱麻を断つがごとき名探偵が主人公のお話だ。
趣味の世界でも、これと似たような遊びはできる。過去に起こった出来事、存在した人や物について、散らばっている情報をかき集めてその出自を推理する。推理するのは勝手だけれど、小説と違って正解には決してたどり着けない。それは、どんなことであれ、真実とは当事者の心の中に秘められているものだからだ。
そして人の心は移ろいやすく、不確かなものである。

ウクライナの首都の名を冠したカメラについては、別のところに大まかな歴史と考察を記した。あれを書いた頃はちょっとしたロシアカメラブームで、僕もご多分に漏れず「俄マニア」の仲間入りをして、ずいぶんいろいろなカメラやレンズを買い込んだものだった。
接頭辞が取れればいっぱしのマニア。でもそうなる前に興味が他のカメラに移ってしまった。理由はいろいろあるけれど、つまるところはこの国のカメラたちに対して抱いた疑問に、自分なりの答えを見つけてしまったためだろう。「なぜそうなのか」あるいは「なぜこうでないのか」。そういう謎が未解決のうちは、興味は尽きないものだからだ。

もちろん、すべての答えが見つかったわけではない。手元に集めた物品にしても、それでこの国のカメラ産業を語るには充分でなく、また情報もけっきょくは又聞きでしかない。安楽椅子探偵の限界である。
でも、もし仮に関係者への取材ができたとして、「なぜソビエトはコンタックスをウクライナでつくったのか」、あるいは「なぜキエフの一眼レフは独自マウントを捨て、ニコン互換マウントを採用したのか」というような質問には「党の決定だから」みたいな答えしか返ってこないだろう。そこから先のことは、たぶんカメラという樹を眺めるのではなく、歴史や文化という森を見渡した方が、より真相に近づける気がする。というか、そっちの方が僕の性分に合っているし、愉しい。

ウクライナが生んだ偉大な音楽家は、ひとりリヒテルだけではない。ピアニストならウラジミール・ホロヴィッツやシューラ・チェルカスキー、作曲家ではセルゲイ・プロコフィエフの名を挙げることができる。この三人に共通しているのは、別の国に渡って活動した(ホロヴィッツは米国に移住、他の二人は米国に亡命。ただしプロコフィエフは後年ソビエトに戻る)ということ。これはロシア革命の混乱を避けるためだったのだが、第二次大戦後のソビエト、つまりリヒテルが活躍した時代にも音楽家の亡命は後を絶たなかった。それは地位や名声への欲というより、芸術家の魂が「束縛されない自由」を求めたためだと思う。

にもかかわらず、リヒテルは不自由な社会主義体制の下で演奏する道を選び続けた。ドイツ系移民の息子であり、戦時中に父親を銃殺されるという悲劇を押し隠すかのように、彼は淡々とピアノの前に座り、驚異的な技巧と楽曲への深遠な理解で聴衆を魅了し続けたのだった。
リヒテルがなにを想い、なにを求めていたのか。その答えを知る鍵は、ソビエトの体制が崩壊する頃に撮影された一編の記録映画に秘められている。「エニグマ(謎)」と題されたこのフィルムでは、観る者に「なぜそうだったのか」を考えるゆとりを与えないほど重く苦しい事実が、生涯の最後のひとときを過ごすリヒテル本人の口から語られる。この偉大なピアニストを知るうえで、たぶんこれ以上に確かな情報は無いだろう。
だが、それでも謎は謎として残る。

Nikon FE2 / Mir-20N 20mm F3.5 /  Reala ACE / (C)  Keita NAKAYAMA

Nikon FE2 / Mir-20N 20mm F3.5 / Reala ACE / (C) Keita NAKAYAMA

ウクライナで「キエフ」という名のレンジファインダーカメラが、40年の長きにわたる生産を止めたのは、連邦が崩壊する直前の1987年。ちょうどそのおなじ年、スヴャトスラフ・リヒテルは北イタリアのマントヴァに赴き、リサイタルを催す。そこで捉えられたハイドンのピアノソナタが、世評にあるように彼の晩年の境地を伝えるものだとしたら、その響きのたとえようもない美しさの背後にある心情を、どう推し量ればいいのだろう。
僕にはそれが「諦観」の二文字と読めてならない。

(この項終わり)

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▲photo:ウクライナ・アーセナル製ミール20Nで撮影。僕の手元にある個体は1983年製マルチコート版だが、基本設計は1970年代前半のモノコート。このスペックの一眼レフ用レンズとしては最初期の製品といえる。その時代の製品としては描写は優秀な部類、ただし画面中央部と周辺の落差はかなり大きく、今の水準からすれば取り立てて騒ぐような写りでもない。逆光は光源が画面内に入るような条件には強い反面、斜め方向からの入射光に弱い(つまり多くの場合ゴーストが避けられない)。初期のレトロフォーカス型超広角レンズに特有の巨大な前玉は存在感じゅうぶんで、そういうアピアランスを含めて愉しむべきレンズだと思う。
画像は前回と同様にコントラスト高めの調整。背景の砂浜、手前の床面(廃屋の屋上)と人物はそれぞれ別の露出パラメータでスキャンし、最終的に三枚を一枚に合成している。上の画像はノートリ、下は中央部付近の25%を拡大したもの。

Special thanks to MAYUMI.

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