Purity
母子像を撮るときは、いつも迷いを感じない。
それはたぶん、被写体になにか絶対的なもの、撮り手の意思を超越したなにかが、宿っているからだろう。
だからただ無心にレンズを向けて撮る。仕上がりのイメージなど考える必要はない。それはこちらがつくるものではなくて、自然に与えられるものだから。
この写真をスキャンしたとき、ヒラリー・ハーンが弾く「バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第三番」を聴いていた。
途中のメヌエットのところで、ふと「ピエタ」の題が頭をよぎる。それはちょっと意味が違うとは承知しているけれど、語感はよく似合っている思う。
そういえばある作家は、この題がつけられた彫像について「愛の根源的なもの」と言っていた。先のバッハの楽曲も、ミケランジェロの作品とおなじイメージを宿している気がする。それはやはり天から授かったイメージだろう。
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