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Sourpuss Pocus : メイキングセンス。by 中山慶太

Sourpuss Pocus

2009-12-18 | 東京レトロフォーカス別室

Contax RX / Yashica ML 35mm F2.8 / Kodak Portra 160NC / (C) Keita NAKAYAMA

Contax RX / Yashica ML 35mm F2.8 / Kodak Portra 160NC / (C) Keita NAKAYAMA

黒丸尚さんが亡くなって十六年になる。
たいがいのひとがそうであるように、僕も黒丸さんの仕事は訳文で知ったひとりだ。強い印象を受けたのはその破天荒な文体、なかでも「ニューロマンサーの訳出には、参った、降参だ! と声を上げざるを得なかった。
作者ウィリアム・ギブスンが創造した主人公のキャラクターは、黒丸さんのあてた「凝り性」という言葉と、それに振られた“アーティスト”のルビだけで、生命を持つ結晶体のような存在に高められたと思う。あの当時、僕らはこうしたテキストならぬ断片情報の連なりを視覚で追いながら、作品世界にダイブしたのだった。

テクノロジーをあつかう小説はむつかしい。背景や小物を細かく説明すれば読み手の負担になるし、そこを適当に端折ると理解不能になる。だいいち、どうやっても年月による陳腐化は免れない。アシモフやクラークのような大作家は、それを宇宙的スケールとディテールの積み重ねでカバーして、永く読み継がれる話を綴ったのだが、彼らとていずれ賞味期限が過ぎることは承知していたはずだ。
いっぽうギブスンやスターリングに代表される「サイバーパンク」世代の作家は、大量のガジェットと(それをいちいち読み手に考えさせない)スピード感あふれるストーリーテリングで武装した。作品の非現実感という点では往年のスペースオペラと大差がないものの、電脳空間を舞台とするサイバーパンクには、その現実感の喪失を逆手にとって世界を構築できる強みがあった。

とはいえ、小説の世界で描かれるほどに、僕らの身の回りの電脳化は進んでいない。いや目に見えないところでは着実に進行しているようだけど、でもじっさいに人間と機械が情報をやりとりする部分は、相変わらずのアナログ処理である。
その好例が、カメラのインターフェイスだ。機械制御と画像処理がデジタル化されたことで、カメラにできることはものすごく多くなった。昔は時計が組み込まれただけで「ススんでる」気がしたものだけど、今のカメラはお湯だって沸かせそうなくらいに、全身これ電子回路のカタマリである。でもその操作はというと、アイコンとテキストによる対話形式。エンジニアは誰もが「直感に訴える」と主張するけれど、テキストというのは一種の翻訳なので、脳がそれを理解するにはタイムラグが避けられない。僕のようにラグの大きい人間には、これがけっこうもどかしかったりする。
まあ、テキストで直感に訴えることのむつかしさは、僕自身いつも痛感するところである。たぶん黒丸さんのようにスルドイ言葉づかいができるひとでないと無理だろう。
僕らはギブスンと黒丸尚が描いた未来の、その入り口を眺めながら写真を撮っている。

はじめてサイバーパンクに触れた頃は、その賞味期間はとんでもなく短いだろうと思った(これは「ニューロマンサー」の映画化が頓挫したことでもそれと知れる)。それにあの一連の作品群の小説的な手法は、もう何十年も前にディックによって提出済みである。サイバーパンクの作家たちは、作者と読者の逃避場所に電脳という都合のいい虚構世界を設定したと、言ってみればただそれだけの話かもしれない。
でもさいきんではギブスンの初期三部作など、意外に古典として生き延びる気もしている。あの物語世界には、どこか宗教にも通じる普遍的な救いがあるからだ。ちょっと長いのが難点だけど、次の世紀に読むひとは圧縮したテキストを脳に直接放り込んで、ものの三秒で読了することだろう。

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▲photo:液晶パネルがカメラに積まれはじめた90年代、その潮流に逆行するアナログ操作系を護り続けたのが京セラ・コンタックスだった。これは中級機のRXで撮ったもの。いろいろ言いたいことはあるけれど良いカメラだったと思う。シャッター速度は1/2秒。レンズは富岡光学の流れを汲む名玉、ヤシカML35mm。このレンズの話はまた近々。

Special thanks to YUKO.

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