舞台女優(2)
芝居がはねたあとに撮る約束で、夜の回を予約した。
クニトウさんの舞台を観るのはこれで三度目、カメラを持参するのははじめてだ。役者さんとして撮るなら、ほんとうは「役に入る瞬間」がいい。舞台の前の控え室で、鏡に向かっているところなど、たぶん素晴らしく絵になるだろう。
それはお互いの出世に期待して、今回はリラックスできるタイミングを選んだ。
その日の「小屋」は、都心の運河に沿うビルの5階の、小さなレンタルスペース。舞台という名の床を囲むように並べられた椅子席は、開演直前にきっちり埋まる。出演者が4人、尺が1時間とちょっとという出し物にふさわしい、ちんまりと気持ちのいい空間だった。
それは芝居の内容にも通じていて、クニトウさんの身の回りで起きた「ある出来事」が、さり気なく脚本に織り込まれている。4人の演技も中央線沿線型のオーバーアクトがあまりなく、おかげでこちらの心拍の振れも少ない。写真もそうだけど、僕は日常からかけ離れた演出が、苦手だ。
小劇場での芝居といえば、僕にはちょっぴり苦い思い出がある。もうずいぶん前のこと、ある公演の感想を。主演の女優さんに長いメールで(しかも初日がはねた直後に)送ってしまったのだ。
たったそれだけ? ああ、それだけなら大したことじゃない、べつだん。ただ僕の感想は、その女優さんの衣装のちょっとした瑕疵に触れていて、それは演出からも注意されていたらしい。
いただいた返信には「(ちょうど僕がしたように)指摘してくる人がいるはずだから直せ、と言われたけど、直さなかった」と書いてあった。やんわりと、きっぱりと。
彼女がなぜそうしたのか、理由は分からない。直さない方が自然と感じたのか、ただたんに忙しくて忘れたのか。それとも演技者として「そんなうわべのことよりも、もっと大切なものがある」と思ったのだろうか。
それからしばらくして、その女優さんから次の舞台の案内をいただいた。ぜひ観たかったのだけど、直前になって急な仕事が舞い込んで、観劇は叶わず、直前の誘いにも返事をせず仕舞いだった。
後で知ったことだが、それは彼女が女優の仕事を休止する前の、最後の舞台であった。本人もそのことを心に含めながら、声をかけてくれたのだろう。もしかすると「うわべよりも大切なもの」を、僕に見せてくれるつもりだったのかもしれない。
役者の仕事とは、別のひとの人生を生きることだ。現実にはあり得ないことを、傍目にもっともらしく見せるには、とんでもない妄想力と集中力が必要だろう。彼たち彼女たちは、舞台という名の坩堝(るつぼ)に浸かりながら、つかの間の嘘を生きているのである。
だから声をかけるなら、せめて熱が冷めるまで待つべきだ。どうしても熱いうちが良ければ、こちらも火傷を覚悟で。闘う用意をしないといけない。
そんなことを考えつつ、僕は次の便りを待ち続けている。それが届くのは明日か、来月か、再来年か、いつかきっと。
Special thanks to Mayumi KUNITOU & Haruka OSUGI.
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