Start Again(2)
進化とは、同時多発的な事象なのだそうだ。
どういうことかというと、例えばある地域でサルが林檎を洗って食べるようになる。するとほどなくして、遠く離れた生息地でもおなじ現象が観察されるらしい。
この話はけっこうよく知られていて、いろいろなところで引用されているのだけど、論拠となる学術論文みたいなものにはお目にかかったことがない。だから民話というか、都市伝説のようなものかもしれないが、なかなか興味深い話ではある。
そういう話といっしょくたにしてよいのかどうか、カメラにおいても進化は同時多発的に起きるのが常だった。「だった」と過去形で結んだのは、今の工業製品の技術開発では、特許とメーカー間の思惑が複雑に絡みあって、そういう事象が起きにくくなっているからだ(興味のある方は「防衛特許」とか「クロスライセンス」などの語で調べてみてください)。
で、何が言いたいのかといえば、道具を使う分だけサルよりも進化した人間が思いつくアイデアは、世界のあちこちで同時に生まれてくる。それがもの凄くよく分かる例として、初期の一眼レフがある。
ここで引き合いに出している旧ソ連製の「スタート」でも、それ以前につくられた機種の不便なところをいろいろ改善する試みがあって、それはモスクワから遠く離れた場所でも似たような機構が考案されていた。
まあ旧ソ連製品の場合は、他国が先行したアイデアをちゃっかり拝借することが多々あったから(コンコルドとツポレフTu-144とか)、同時多発的な進化と呼ぶのは無理がある。このカメラが採用したさまざまな機軸も、それを「世界初」として宣伝できるものはたぶん皆無だろう。広告に「当社比」とか「○年×月現在、当社調べ」みたいな縛りができる前の、威勢のいい誇大広告がまかり通っていた時代の製品だったとしても。
そういう一番乗り競争は別として、「スタート」が積んでいたいくつかの新機軸のなかで目玉といえるのが、撮影時の絞り羽根の動きをレリーズ動作と連動させるメカである。
(この項続く)
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▲photo01:分厚いクロームめっきと梨地めっき、それにアルミ合金の地肌が織りなす前近代的造形の美。鏡胴は磨けばもっと光るが、適当な曇りを残した方が雰囲気がいい。「退き」で観ればいささか大味なスタートも、こういう「寄り」ではそれなりに見応えがある。
レンズ鏡胴の造作は旧東独カールツァイス・イエナ製品のそれに近似。ただし数値刻印はそちらよりずっと繊細で、戦前の(東西に分かれる前の)ツァイス製品の伝統をよく受け継いでいる。近接限界は0.7mと、通常のヘリオス44より20センチ遠い。これは絞り連動メカの内蔵で鏡胴内に余裕が無くなった(繰り出し量が制限された)ためだろう。ボディの滑り止めがテキスタイル模様なのはユニークだが、前例がないわけではない。
ところでこの画像を仔細に観察すると、メカの部分でちょっと変なところがあることに気づく。さてそれは何でしょう?
▲photo02:
夕暮れの赤レンガ倉庫にて。絞り=F5.6でピントを奥に入れ、通常とは逆の絞り効果で撮っている。視点が下がるウエストレベルファインダーは写真に客観性が出て面白い。ただし視野が左右逆像になるため、水平出しはちょっと面倒だ。
ヘリオス44は戦前ツァイスのビオターを下敷きにした設計で、スタートの発売に合わせてデビュー。カメラは数年でディスコンとなったが、レンズは半世紀を経た今も現役のロングセラー。上の画像で分かる通り太めの鏡胴に収まる光学系はたいへんコンパクト。前玉も鏡胴先端から奥まった位置にあるが、それによる遮光効果はほとんど期待できない。
この写真でもネガの調子は眠く、後処理でコントラストを上げている。そういう処理をすればしゃきっとした画調が手に入るが、カラー画像のコントラスト操作は彩度と連動するため色再現にも影響を与える。ここではハレーションによる色抜けに少し補正を加えた。オールドレンズが持つ個性を尊重するか、それとも写真の仕上がりを優先するか。そこに写真趣味と写真機趣味の分かれ道がある。
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