Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 520

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 535

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 542

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 578

Deprecated: Function set_magic_quotes_runtime() is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 18
寡黙なレンズ : メイキングセンス。by 中山慶太

寡黙なレンズ

2010-06-08 | 東京レトロフォーカス別室

Mockba-5 / Industar-24 105mmF3.5 / Neopan 400 PRESTO / (C) Keita NAKAYAMA

Mockba-5 / Industar-24 105mmF3.5 / Neopan 400 PRESTO / (C) Keita NAKAYAMA

物静かなレンズというものがある。売り場で最前列に並ぶことは滅多になく、どんなカメラボディに着けても目立たず、写真を撮ってもさほど特徴がない。主張がないわけではなくて、小声で喋るために、耳を澄ませないと聴き取りにくいのだ。

写真機趣味にハマった頃は、そういうレンズに興味を持つことはあまりなかった。趣味の沼に腰まで浸かって、レンズの声を少しは聴き取れるようになっても、やはり食指が動かない。すごく立派な写りをするか、またはその真逆か。使うなら個性豊かなレンズの方が面白いと、そう思い込んでいたからだ。
寡黙なレンズの佳さが少し分かるようになったのは、カメラよりも写真そのものに興味が向いた頃からだろうか。写りが過剰に立派だったり過剰に駄目だったり、そういう突出した描写を持つレンズは、どうしてもその美味しい部分ばかり使いたくなる。ほらほら、これをこう使うとこんな風に写るんですよ、というネタを探すのは、モノ好きの性というものだろうけど、そんなことばかりやっていても仕方がない。

知見ある方からのお叱りを覚悟して書けば、僕にとって無個性銘柄の代表とは、かのテッサーである。今ではずいぶん少なくなってしまったけれど、ひところは猫も杓子も、というくらいに人気があったレンズだ。当然、愛好家の信頼も篤い。ただしテッサーが普及した一端には、戦前ツァイスのこの設計が、大戦の終結とともに知的所有権が消失して、今風にいえばパブリックドメインになったということもある。
加えて、構成がわりあいに単純で、製造の難度も高くない。つまり、あまりお金をかけずにそれなりの性能が出せる、という美質もテッサー人気を後押しした。ちなみに戦前ライカの沈胴エルマーも、レンズ構成の基本はテッサーそのものである。ライツ社の光学技師マックス・ベレークは絞りの位置を変えてツァイスの特許を避けたのだが、この改変は必ずしも理想を追ったものでなく、ゆえに(というか、皮肉にも)初期のエルマーはテッサーよりもずっと雄弁である。

テッサーを名乗るレンズには多くのバリエーションがあるが、標準域の製品に限れば、三群四枚という基本設計はほぼ不変。後群のエレメントは接合レンズになっていて、これが収差補正に大きな役割を担い、戦前戦後の一時代は先鋭なピントが多いにもてはやされた。
構成枚数が少なく、また接合レンズをひと組用いるため、反射防止膜の性能が低い(または膜そのものを持たない)時代でも、透過光の損失が少ない(=コントラストが高い)という特長もある。
また標準レンズのもうひとつのスタンダードたるダブルガウス構成と比較すると、レンズの前後長を短くできるため、一眼レフ用のコンパクトなレンズが無理なくつくれる。これはどういうことかといえば、光学上の主点がレンズの中心からさほど外れないということだ。
ダブルガウスは対称性に優れるから素直、という見方もあるけれど、一眼レフ用の標準レンズだと主点はレンズの中心からかなり離れた位置に置かれる。つまり設計には捻りが必要で、初期にはミラーを避けるために焦点距離を長めにするなどの苦労があったのだが、テッサーならそんな必要はない。一世を風靡したパンケーキレンズなど、ほとんどがテッサーの設計を応用したものだ。

テッサーは欠点の少ない優等生、というか、平均点をそつなく稼ぐタイプだが、敢えてあら探しをすると、大口径化がむつかしいということがある。コンピュータ支援の設計でもF2.8あたりが限界で、これより明るくすると像面の平坦性が保てなくなるようだ。絞り開放付近のボケ描写も、ダブルガウスほど耽美的ではなく、イマイチ面白みに欠ける。
だからこの設計を採るなら、口径比をF3.5くらいにとどめて、身軽なスナップ向きの製品にまとめた方がいい。戦後に世界のあちこちでつくられたテッサー(その名が刻まれることはほとんど無かったが)は、ほぼすべてがそういうコンセプトのもとに製品化されていた。

先日、読者へのプレゼント品としてテスト撮影に持ち出したモスクワ(レンズはテッサーのクローン)も、中判ならではの余裕は随所に感じられたものの、レンズの描写をネタに話が盛り上がるタイプのカメラではなかった。それを長所と見るか短所と見るか、これは使うひとによって評価が変わるところだろう。
ただ、撮影結果をじっくりと眺めれば、そこにはやはり古典カメラらしくほど良いユルさがある。半世紀も前の、市井の空気感を感じさせる、といえば後付けのキャッチコピーみたいだけど、僕の目にはそんな風に感じられて、けっこう魅力的に映ったのだ。

もうひとつ書いておくと、このレンズの中庸ですこし平坦な描写には、「現像後の後処理をかけやすい」という隠れた美質がある。プリント時のフィルターワークで、いくらでも自分の好みの絵がつくれる、というか、後処理で弄るのをためらわずに済む。エルマーなら躊躇するだろう。これはテッサーの描写が、基本がしっかりしていて、しかも無理をしていないためだと思う。

*******************

▲photo:前回のハケヌリに続き、今回はユルい空気感を強調する目的で、ソフト効果の滲みを加えてみた。撮影時にはそれを想定し、滲みが似合う廃墟っぽい環境を選んでいる。こういう効果を加える場合、ピント面は深めで、かつなるべく先鋭な方がいい。元がアマいと滲みにピントの芯がなく、ただほんやりした写真になってしまう。この写真では画面下端が被写界深度から外れたため、ただのアマい描写になっている。
ソフト効果は仕上がりサイズと密接な関係があり、小さめの画像で効果が見えるようにすると、かなり下品な絵になる。今回は拡大画像を×4サイズとしたので、滲みの微妙な効果がお分かりいただけると思う。
ところで日本語の「滲み」は英語で”blur”とか”blush”または’’stain”などと言うのだが、写真用語としては”blur”の語がよく用いられる。ただしこれは「ピントが合っているのにアマい写真」的なニュアンスがあるようだ。それと知らずに’’motion blur”の記述がある記事を読んだときは、ブリティッシュロックの話かと思った(モーションブラーは「被写体ブレ」の意)。

Special thanks to Mayumi.

Trackback URL

------