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エモノ -favorite weapons-(6) : メイキングセンス。by 中山慶太

エモノ -favorite weapons-(6)

2009-08-29 | 東京レトロフォーカス別室

“Corridor of wind #1” Meopta Opema Ia / Largor 30mmF6.8 / Kodak Professional Portla 160NC / 1/25sec. F6.8 / (C) Keita NAKAYAMA

“Corridor of wind #1” Meopta Opema Ia / Largor 30mmF6.8 / Kodak Professional Portla 160NC / 1/25sec. F6.8 / (C) Keita NAKAYAMA

新しいデジタル機をハシゴしながら、いろいろ考えさせられることがあった。
改めて思うのは、カメラという道具が進化の節目を超えた、ということだ。かのアーサー・クラーク描くところの新人類ではなくて、新カメラ類。撮影の現場ではただ写真を撮るだけでなく、仕上げの加工まで行うことが普通になりつつある。いぜんのように撮影と現像とセレクトと後処理のプロセスを、適当なインターバルを挟みながら行うやり方は、もうぜんぜん古い。古いから駄目ってことじゃないけど、時代遅れであることは間違いない。
そこでもしも「遅れて悪いかよ」と開き直りたくなったら、気をつけた方がいい。節目を超えてからの進化のスピードは、いったん置いていかれてると後先が立ちゆかなくなる。カメラもケータイといっしょで、新機種が出るたびに機種変、というのがいちばんストレスが無い方法だろう。

かく言う僕も、ケータイに関しては「電池がヘタるまで変えない」という旧人類なので、二台くらい前から進化のスピードについて行けなくなり、今はどれくらい周回遅れになったのか、もう数えるのも面倒だ。この夏十年ぶりにF1のコクピットに戻って苦戦するバドエル君に、なんかすごくシンパシーを感じてしまうなあ。
でも、愚痴ではなく(ないと思う)ちょっと言いたいのだけど、カメラを設計しているひとたちは、ほんとうにそれで良いと思っているのか。最近のデジタル一眼レフは、発売されて二年かそこらで後継機にバトンタッチするのが普通だ。1機種飛ばすとしても、四年ほどで買い換えることになる。たぶんコンパクト機はもっと短いだろう。そういうサイクルが普通と感じたら、それはちょっとおかしいのではないかと思う。

などと書きながら、手元にある旧カメラを眺めてみると、ある時代には1年とか、ヘタをするともっと短いスパンで次のモデルにバトンタッチしたカメラも目に入る。50年代末から60年代の国産機、たとえばフジカやコニカのレンジファインダー機なんかがそうだ。
でもそれは「ちょっと明るいレンズ」を積んでみたり、フィルムローディングに新しい工夫ができたのでそれを載せてみたり、という、まあ軽いマイナーチェンジが多かったから、わざわざ買い換えるほどのこともなかった。ちょっと暗いレンズのオーナーにしてみれば、けっこう悔しかっただろうけど。

そういうカメラたちが現行モデルだった時代と、今とでどう違うか。僕みたいに1台のカメラを長く使おうとするひとたちが、マイナーチェンジやモデルチェンジがあってもたいして困らなかったのが昔。今は長く使おうと思っても、環境が許してくれない。カタログ落ちしたカメラは、やがてパソコン側の進歩に置いていかれる。ファームアップも適当な時期に打ち切られる。ちゃんと写真が撮れるカメラでも、快適に使えなければ現役でいることはむつかしい。
陳腐化のタイマーは市場における商品性だけでなく、もっと本質的なところに仕掛けられている。粗大ゴミ置き場に捨てられた家電製品を見て「まだ使えるのに」と思う人間には、なんだか哀しい世の中である。
って、やっぱこれは愚痴だなあ。

旧いカメラには今のカメラみたいな芸当はとてもできない。できないことが多いのではなく、できることがほとんどない。でもおかげで、撮影の現場で操作に迷うことはまったくない。だから撮りたい対象をじっくり観察して、どう撮るかを考える時間がたっぷりある。それで撮った結果に大差がないとしたら、カメラの進歩とは何だったのか。

もちろん、結果には大差があるのだ。そうでなければおかしいし、もしもその差が実感できないのなら、自分の腕とセンスを疑うべきだ。
じつは僕も疑うことが増えて困っているのだ。

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▲photo:「風の回廊・1」晩夏の日暮れ、水路に群生する葦が「ざあっ」と音を立てる。その場に佇んでしばらく眺めていると、葦が大気の動きを視覚化してくれていることに気付いた。風は線ではなく、また波のような面でもなく、トンネルのように筒状に吹き抜けるのだ。
ひとの背丈を越す葦は、茎を弛ませながら身を寄せ合い、突風にも倒れることがない。それは逞しさではなく、応力を分散させる群生の知恵だと知った。

オペマは最低速、ラルゴールは絞り開放。周辺減光はデフォルト。

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