FUJI FinePix X100(5)
X100は、観る角度によって印象の変わるカメラだ。
デザインの話ではない。これを眺め手に取るひとが、カメラとどんな関係性を持っているか、それによって見え方が変わるということだ。
カメラをつくる側の立場で観ると、X100は「最適化」の結晶だと思う。といっても僕は、ピンホール用の暗箱を手製したことしかないから、これは想像の話である。
このカメラの設計者たちが何をどんな風に最適化したのかは、メーカーのスペシャルサイトに詳しい。その開発ストーリーの1ページ目には、「レンズとイメージャを一体化した専用設計により、描写性能を高めつつコンパクト化を達成できた」とある。
なぜそういう一体設計が必要なのかといえば、「テレセントリック性の弱い広角レンズで井戸の奥に位置するようなCMOSの受光部になるべく均質な光を送り込むための工夫」である。読んで意味が分からなくてもまったく差し支えないのだが、X100がレンズ交換式カメラであったら、このサイズ(と価格)ではとても収まらなかったということだ。
カメラ設計の側からは、そうやって理想を追い求めたX100だけれど、写真の撮り手にしてみれば、最適化の三文字が必ずしも有り難いとは限らない。要はこのカメラのサイズと価格に対して、レンズ交換ができないことをどう見るか、である。
フルサイズ換算で35ミリという画角は、このカメラの性格を考えれば、たぶん妥当なところ。ユーザーニーズと光学性能とサイズ、それに製造コストの要求にそつなく応える、いわば最大公約数的な焦点距離だ。
もちろん、風景やスナップ主体に撮るなら28ミリが、人物主体に撮るひとなら40ミリあたりの画角が欲しいと言うだろうけれど、それはマイノリティの意見である。
レンジファインダーライクな見た目からしても、X100には35ミリの画角がよく似合う。そういえば僕も、ライカM5で撮るときは、ほぼ半分以上は35ミリだ。それはファインダー上で最大の視野枠が使えるからなのだけど(だからM3は50ミリばかり使っている)、それだけが理由でもない。
思うに、レンジファインダー機と35ミリの組み合わせは、「大人の選択」なのである。人間の視野角よりも、ちょっぴり広い画角を使って絵をまとめる。超広角のトリッキーな視野も、標準や望遠の浅いピント面も使えず、写真はオーソドックスなものにならざるを得ない。そこをなんとかカバーするのが大人。ではなく、そこで欲をかかずに撮るのが大人なのだ。
でもまあ、仕事で使うならもうちょっと短い玉が欲しい。長い玉はデカくなるので諦めてもいいけど、おなじボディ一体型でレンズとファインダーを換えて、24ミリか21ミリの超広角タイプを出してもらえないだろうか。
このサイズで二台ならどこにでも持って行けるし、万が一片方がトラブっても仕事はできそうだ。まてよ、それなら長い方は43ミリも……。
などと考える僕は、いつまでたっても大人になれない奴なのだろう。大人とは、ちゃんと我慢ができる、節度を弁えたひとのことを言うのである。
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▲photo01:夜の埠頭で。フルサイズ換算で35ミリという画角は人物撮影には必ずしも万能ではない。スナップ的に退き気味に撮るにはいいけれど、ポートレート的に寄って撮るとデフォルメ効果が出るからだ。
これを回避するため、このカットはすこし退き気味に撮って周辺をトリミングで捨てている。画質資産の乏しいカメラでは気乗りのしないやり方だが、X100なら余裕たっぷり。通常の仕上がりサイズなら標準レンズの画角(面積比で約半分)まで削っても粗は出ないだろう。
JPEG最大サイズ・最高画質で記録。トリミング85%、シャッター優先オート、フィルムシミュレーション=ASTIA。
▲photo02:この夜のロケはカメラ側の設定を変えずに撮った。被写体といっしょに動きながら撮りたかったのでシャッター速度は1/15秒に設定。これを優先して絞りと感度はオートに任せ、カット毎に露出補正を加えている。街灯(おそらくメタルハライド光源)の演色性を活かすためホワイトバランスは「太陽光」、ダイナミックレンジ拡張モードはDR=200%とした。これでほぼ希望通りの、ネガフィルムライクなトーンになる。暗部の階調は後処理で出そうと思えばまだ出せるが、いっさい手を加えていない。
JPEG最大サイズ・最高画質で記録。ノートリ、シャッター優先オート、フィルムシミュレーション=ASTIA。
▲photo03:レギンス脚と影絵。暗部の階調差が分かるだろうか。
JPEG最大サイズ・最高画質で記録。ノートリ、シャッター優先オート、フィルムシミュレーション=ASTIA。
Special thanks to YUUKO MIYAZAKI.
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