星雨

2014-08-20 | 視聴覚室

SONY NEX-6 / E PZ 16-50mm F3.5-5.6 OSS / ISO3200 / (C)  Keita NAKAYAMA

SONY NEX-6 / E PZ 16-50mm F3.5-5.6 OSS / ISO3200 / (C) Keita NAKAYAMA

あの星が墜ちた夜のことは、もちろん覚えている。

冬の陽が街灯に仕事を譲った道を、僕はずっと俯きながら歩いていた。仕事で煮詰まったときにそうするように、なにか漠然とした答えを探して、それを見つけ倦ねていたのだと思う。そうしていつもの河辺でふと見上げた夜空に、ひと筋の光が流れて消えた。2014年1月20日、指揮者クラウディオ・アバド逝く。

クラシック音楽と向き合うのが遅れた僕にとって、アバドは長いあいだ「そういう人がいることを知っている」というだけの存在だった。新譜ではじめて買ったのはブラームスのヴァイオリン協奏曲。東京でBPOを振ったライヴCDだったが、じつはソリストのムローヴァに惹かれたジャケ写買いである。

そのCDはずいぶんとよく聴いた。楽曲が親しみやすく演奏時間も短い(40分に満たない)ので、取っ付きが良かったのだろう。しばし後に映像版も観る機会があり、そちらでアバドの指揮に印象を受けた。音でイメージしていたよりもずっと力感に満ちた指揮ぶりと、なにより棒を振る姿の格好の良さに惹かれてのことだった。些末なことと嗤われるかもしれないが、指揮者や奏者にも「見た目」はたいせつである。

アバドの出で立ちはホワイトタイ、つまり燕尾服。彼は長らくこのスタイルで通したひとだが、シャツのカフを綺麗に見せるジャケットが絶妙だった。普通の指揮者であれば白袖が僅かに覗く程度であり、激しい腕の振りにカフがすべて見えても絵になる、というのはまず他にない。たぶんナポリあたりのサルトが依頼者の仕事ぶりを量り、袖のつくりに意を凝らして仕立てたものと思う。

それからまた何年かが過ぎ、病に倒れたアバドがBPOの指揮台を降りたと知った。闘病の時期もそうだったが、ふたたび指揮台に立ったときの羸痩(るいそう)した姿には、ほんとうに気を揉まされた。これで果たして、彼が好む苛烈な楽曲を振り遂せるのかと。

だがアバドの音楽が円熟味を増すのはここからで、2000年代の半ばからルツェルン祝祭管弦楽団を振ったマーラーなど、どれも総毛立つほどの快演となった。特に交響曲第9番は定評あるバーンスタインや、(アバドとおなじく病を抱えた時期の)テンシュテットの演奏すらも凌駕する、ほとんど鬼気迫るといいたいものである。

この時期の彼は指揮台にごく普通の、黒のスーツとネクタイ姿で立つのが常であった。ホワイトタイを止めたのは楽団員との一体感を高める、というより「身分格差の解消」を意図したためだろう。それはBPO時代に果たせなかったことであった。帝王の影との闘いから開放され、アバドは漸く自らの音楽を心ゆくまで追求できる場を見つけたのだ。

病を得たのちも、大きな腕の振りとそれに合わせて覗くカフは変わらず、しかし振りそのものはBPO以前より大きくなっていた。加齢とともに「枯れていく」音楽家は多いが、アバドの音は齢を重ねるほどに強弱の振幅が大きくなり、強奏部では途方も無い音量を求めるようになった。だがそれを「生きること」への執着に重ねて語るのは、たぶん安易に過ぎるはずだ。

SONY NEX-6 / E PZ 16-50mm F3.5-5.6 OSS / ISO3200 / (C)  Keita NAKAYAMA

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思うに、音楽家アバドの終着点は、おそらく2010年のルツェルン音楽祭である。この年に彼は俊英グスターボ・ドゥダメルが育てたユースオケを借り受け、プロコフィエフやベルク、そしてチャイコフスキーを振る機会を得た。通常の倍ちかい編成のオケを操る喜びを隠そうともしないその姿は、悍馬を乗りこなす快感に嬉々とする老騎手のようにも見えた。

そして同じ年のルツェルンで、馴染みの祝祭管を振ったマーラーの9番。今この演奏に耳を傾ければ、そこで彼が「失われるもののすべて」を手にしたことがよく分かる。作曲家が命を削ってつくりあげた楽曲が、大小の蝋燭を束ねた灯りのように、激しくはかなく眩く揺らぐさまの、なんと厳しく甘美なことか。そうして終結部につづく無音の刻は、そのまま冬の星雨にすべるようにつながっていった。その静寂は未だ誰の手によっても破られていない。

今を生きるということは、やがて来る死を見つめ受け入れることだ。もしアバドがそう感じていたとしても、それは諦観とはべつの、むしろ無我の裾野につらなる境地だろう。なにかを全うするというのは、そういうことである。

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Special thanks to Yuko MIYAZAKI.

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