Archive : 視聴覚室 category

アダージェットを君に (1)

2010-03-08 | 視聴覚室

Nikon FE2 / Ai Noct-Nikkor 55mm F1/2S / Astia 100F / (C) Keita NAKAYAMA

Nikon FE2 / Ai Noct-Nikkor 58mm F1/2S / Astia 100F / (C) Keita NAKAYAMA

いつものように約束の時間に遅れた僕が扉を叩いたとき、館の広間では祝宴の準備が進んでいた。その日はこの宿の長女の、ちょうど二十歳の誕生日だったのだ。
うまい具合に、クルマのトランクにはシャンパンがケースで積んである。前の週にパリでワイン関係の仕事があって、その撮影に使った余りだった。といっても、この北イタリアの宿にたどり着くまでの間にだいぶ減ってしまっていたけれど、手土産として面目の立つ数は残してあった。

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世界の1/3 (9)

2010-02-07 | 視聴覚室

Contax RX /  Yashica ML 50mmF1.9 /. / Kodak Portra 160NC / (C)  Keita NAKAYAMA

Contax RX / Yashica ML 50mmF1.9 /. / Kodak Portra 160NC / (C) Keita NAKAYAMA

彼女の63歳の誕生日に書き終えるつもりではじめたこの連載も。気がつけば足掛け半年以上。読んでくださる方がいるかも不明のまま、そろそろひと区切りをつけないといけない。書こうと思えばいつまででも書いていられるような気がするし、一生つき合っていける音楽だとは思うけど、それではただの独り言になってしまう。

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世界の1/3 (8)

2009-12-08 | 視聴覚室

Contax RX /  Auto Yashinon DS-M 50mmF1.7 /. / Kodak Portra 160NC / (C)  Keita NAKAYAMA

Contax RX / Auto Yashinon DS-M 50mmF1.7 /. / Kodak Portra 160NC / (C) Keita NAKAYAMA

「十年ひと昔」という。いろいろと移り変わりの激しいこの時代、特に二進法のデジタルが幅を利かせるようになってからは「二年ひと昔」という雰囲気だ。でも人間の営みには、やはり十年くらいをひと区切りとするサイクルが似つかわしい気がする。
僕ら日本人にはあまり縁がないけれど、西洋では十進法の桁に合わせた年数単位がよく使われる。百年ならセンチュリー、千年ならミレニアム、というように。これはたぶんキリスト教的世界観から生まれた習わしだと思うけど、じっさいのところはよく知らない。では、十年は何というか。ディケードDecadeという単語がそれにあたる。

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世界の1/3 (7)

2009-09-14 | 視聴覚室

Olympus PEN E-P1 / Leitz Elmar 65mmF3,5 / Visoflex II / F3.5 1/1250sec. / ISO200 / (C)  Keita NAKAYAMA

Olympus PEN E-P1 / Leitz Elmar 65mmF3,5 / Visoflex II / F3.5 1/1250sec. / ISO200 / (C) Keita NAKAYAMA

「ながら族」という言葉があった。何かをしながら別のことをする、そういう集中力の欠けたひとたちを揶揄した俗語で、もう半世紀も前に発明された。今ではそれが当たり前になってしまって、言葉もとっくの昔に死語の世界。と思ったら、「マルチタスカー」などというお洒落な言い方に変わったらしい。
ひとつのことに専従せずに複数のジョブを同時にこなす、いわば人間もパソコン化しているのかもしれない。
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世界の1/3 (6)

2009-08-11 | 視聴覚室

Konica IIIA  / Hexanon 50mmF1.8 / Reala ACE / (C) Keita NAKAYAMA

Konica IIIA / Hexanon 50mmF1.8 / Reala ACE / (C) Keita NAKAYAMA

ものの値段、というのが何で決まるのか、さいきんはまったくよく分からない。カメラの値付けももうずっと「時価」という感じで、NAVI編集部の青木さんも買ったばかりの新機種が「一週間で10%値下がりした」と嘆いていた。

そういうのはてっきりハードウェアに限ったことかと思っていたら、CDも凄い値段だ。特にクラシックの“ハコモノ”などは、もうあからさまな投げ売り状態。マルタ・アルゲリッチのこのセットなんか、国内盤の新譜1枚の値段で7枚組。しかもそれぞれのCDはリリース時のデザインを復刻した紙ジャケスリーブに収まっている。
これでアルゲリッチの協奏曲録音を網羅できるわけではないのだけど、そこは商売熱心なDG(ドイツグラモフォン。ユニバーサル傘下に入ってから社風が変わった)のこと、たぶん続編があるんだろう。でも正直、ここまでやらないと売れないのか、と思う。それとも、ここまでやってもらわないと聴かないのか。
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世界の1/3 (5)

2009-06-24 | 視聴覚室

''Dencer on the Beach'' Nikon FE2 / Distagon 25mmF2.8 / Reala ACE / (C) keita NAKAYAMA

''Dencer on the Beach'' Nikon FE2 / Distagon 25mmF2.8 / Reala ACE / (C) keita NAKAYAMA

マリア・ベターニアのアルバム「マリア Maria」をはじめて聴いたときのことはよく覚えている。もう二十年も前の、あの日の天気まで。
記憶が鮮明なのは、それがはじめて買った彼女のCDだったからだ。それまではアナログ盤で聴いていた僕が、CDに「寝返った」のは、そっちの方が曲数が多い、という単純な理由だった。今でいうボーナストラックだけど、今と違うのはそれが輸入盤CDだけのオマケだったこと。このオマケの話は後で触れよう。
渋谷の宇田川町にあった輸入盤専門店を出て、路駐のクルマに乗り込み、友人との待ち合わせ場所に向かう車中で、封を切ったCDをオーディオのスロットに差し込む。音が出た瞬間、青山通りのどんよりと曇った空の向こうに、抜けるようなアフリカの青空が開けた。
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世界の1/3 (4)

2009-06-14 | 視聴覚室

「海潮音」Nikon FE2 / Mir-24N / Reala ACE / (C) keita NAKAYAMA

「海潮音」Nikon FE2 / Mir-24N / Reala ACE / (C) keita NAKAYAMA

「無人島に持っていく○○」という決まり文句がある。○○の部分には小説や音楽を入れるのがお約束だけど、さいきんはゲームソフトなんかでも構わないらしい。
「AC100Vが供給される無人島って、いったいどんな島だそれ」みたいな突っ込みは、この手の話には禁じ手である。なぜならこのフレーズの元ネタは、英BBCのラジオ番組「Desert Island Disks」だからだ。番組は1942年の放送開始から現在まで、毎回ひとりのゲストを呼び、無人島に持っていくレコード(今もCDとは言わない)を問い続けている。つまりその無人島には電源があるのだ。
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世界の1/3 (3)

2009-06-08 | 視聴覚室

''Depois de carnaval'' Leica M5 / Summicron 35mmF2 / Reala ACE / (C) Keita NAKAYAMA

''Depois de carnaval'' Leica M5 / Summicron 35mmF2 / Reala ACE / (C) Keita NAKAYAMA

特別な能力を持ったひとたちがいる。その能力は努力して得られる場合もあるけれど、たいがいは生まれつきで具わったものだ。でもそれは、いったい誰から授かったのだろう。

ブラジルではある種の女性歌手を「インテルプレチIntérprete」と呼び、その他大勢の歌い手「カントーラCantora」と区別する。カントーラは誰でもなれる、というより女性が歌えばそう呼ばれる。いっぽうインテルプレチとは、曲の背後にある意志や精神性を歌声にのせ、聴き手の心の深い部分に「波動」として伝えられる、そういう特別な歌手を指す。
インテルプレチは「通訳」を意味するポルトガル語だ。なぜそういう呼び名が定着したのか、勝手な想像をすれば、それはこの国の音楽が土着の宗教や儀式と結びついていた頃の名残である。密林のなかで、炎の周りを裸足で踊り、神や精霊の言霊を伝える巫女。現代のインテルプレチとは、その末裔なのではないだろうか。
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世界の1/3 (2)

2009-06-01 | 視聴覚室

'Clair de Lune'' / Plaktica VLC3 / Pancolar 50mmF1.8 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

'Clair de Lune'' / Plaktica VLC3 / Pancolar 50mmF1.8 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

彼女は並外れた歌い手だ。その声に触れるとき、僕らは人間に秘められた能力を、その量り知れなさを思い知る。もしも歌詞が槍のように尖っていたら、彼女は歌声で人の心を刺し貫き殺せるだろう。嘘でない証拠に、僕はもう何度も死んでいる。

マリア・ベターニア・ヴィアンナ・テレス・ヴェローゾは1948年6月18日、ブラジルのバイーア州サント・アマーロの街に生まれた。幾筋もの小川が流れる美しい街だそうだ。彼女の洗礼名を考えたのは4歳年上の兄、カエターノ・ヴェローゾだという。父親は別の名を考えていたが、両方の名前を書いた紙片を帽子に入れ、「くじ引き」のようにして引いた結果、兄の案が通った。
「たぶん父は僕に花を持たせようとして、おなじ名前の紙をたくさんつくったんだと思うよ」とは、当のカエターノの弁である。
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世界の1/3 (1)

2009-05-27 | 視聴覚室

''Absolute pitch'' / Leicaflex / Summicron 35mmF2 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

''O carnaval pequeno do litoral'' / Leica M5 / Summicron 35mmF2 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

僕らは空気を吸って、音楽を聴きながら生活している。そう、空気と音楽。このふたつがいったいどこからやって来るのか。そんなことを考えてみたことはあるだろうか。

Web上のいろんな資料に目を通すと、地球の表面を覆う大気のうち、生物の生命維持活動にもっとも必要とされる酸素は、その1/3から1/4が「南米アマゾン川流域の熱帯雨林によって供給されている」とある。
そこで植物が行う光合成の仕組みは学校で習った通りだ。でも地球の陸地のわずか2%ほど(陸地の総面積1億4894万平方キロに対しアマゾン熱帯雨林はおよそ340万平方キロ*)から、僕らが呼吸する空気の多くが生まれているなんて、ついぞ教わらなかった。今の子供には教えてるんだろうな。
だからアマゾンには誰もが毎日お世話になっている。いや、通販じゃなくて。
その熱帯雨林が今深刻な危機に直面している、というようなお話は、例の「ゴアさま」の著作映画などに詳しい。じっさいノーテンキに音楽など聴いている場合ではないのだが、「人はパンのみにて生きるに非ず」ともいうので、ここはそっちの話に落とさせていただきたい。

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