0.06msec.の憂い(2)
もちろん撮る側にしたって、気は咎めている。
というより、ハッキリいって後ろめたい。何がって、ちゃんと写るカメラでブレ写真を撮ることについてだ。
だって、よく考えてみて欲しい。それが真っ当な写真用レンズだったら、商品企画から設計そして製造に至るまで、すごく長い時間がかかっている。
膨大な量の計算をコンピュータがやってくれる今ですら、どんなに特急で仕上げても半年以上。そんな道具が無かった頃は、アルバイト動員の残業続きで1年半とか2年、あるいはそれ以上の時間をかけることもあったらしい(なぜそんなに計算が必要かという話は、こちらを参考にしてください)。
そしてその膨大な計算は「諸収差の低減」、つまり焦点面に精密な像を結ばせるためのものなのだ。そういう汗と涙とソロバンの音を、ほんの数分の1秒で台無しにするのが「ブレ写真」なのである。
もちろん、写真はピント面の解像感がすべてではない(僕はトーンの再現性の方がずっと重要だと思っている)。でも、だからといってヒトサマの努力を、その場の気分とか軽いノリで台無しにするのは、どうか。
そんなことに悩むのは、たぶんこちらの肝が小さいだけなのだろうけど、まあそういうわけで、僕はブレ写真を撮るときでも、なるべくカメラを動かさないよう気をつけている。おおむね無駄な努力ではあるのだが、まるっきり無意味というわけでもない。
とはいえ、どんなに頑張っても、小さな機械部品が動くパワーは、そう容易くは御しきれない。脇を締めて息を止めたくらいでは、どうしたって足りないのだ。
ではその足りない分をどうするか。
(この項続く)
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▲photo:先日来の懸案である「アカレッテ+テレクセナー」でモノクロをいちまい。今回はトリミングの余裕をたっぷり取って撮影。結果フレーミング問題は解消、低めのコントラストもモノクロの焼きで救っている。
ピントも巻き尺で慎重に決めたのだが、やはり絞り開放では歩留まりが悪い。これは「当たり」のカットでピントはほぼ正確(隣接するコマはそれなりにシャープなピントが得られていた)。そこまで頑張っても被写体が動けば結果はご覧のとおりである。でも静止したカットと比べてどうなのかといえば、こちらの方がずっと好ましく感じられたのだから、写真とはやはり一筋縄では括れないものなのだ。
Special thanks to MAYUMI KUNITOU.
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