Bailout
趣味の写真を撮る時間ができたので、またカメラにフィルムを詰めいてる。このところ、使う機材はあまり代わり映えがしない。ことフィルムカメラについては、ひとつの機材をじっくり使うのもいいものだ。減価償却がとっくの昔に済んだカメラなら、無理に急いで使い倒す必要もない。
だからカメラバッグに何台も詰め込むことはせず、なるべく身軽にできるよう心掛けている。ならば理想はレンズ固定式のコンパクト機。でもあいにくと、手持ちのそういうカメラは、ほとんど人に差し上げてしまった。押し付けられたひとたちも、迷惑かもしれないけど。
レンズ固定式のカメラが優れているのは、撮影前の邪念を振り払えるところだけではない。レンジファインダー機に限っていえば、おなじスペックの交換レンズに比べて、最短撮影距離が短いものが多く、つまり被写体に寄れるということ。まあ10センチとか余分に寄れるだけの話だけど、人物撮影ではこの差が十倍くらいに拡大されて感じるのだ。
といっても、被写体との間合いは詰めれば詰めるほど良いというわけではなく、そこには適正という概念もある。さいきんの一眼レフ用広角レンズには、無闇やたらと寄れるものがあるけれど、パースは撮影距離に依存するので、寄り過ぎはデフォルメにつながることを忘れてはいけない。
だからひょっとして、ライカなどに多い「最短70センチ」というのは、実はけっこう節度のある数字かもしれない(じっさいにはファインダーのパララックス補正との折り合いで決まっている)のだが、それはMマウントができてからの話。バルナック時代のレンズは、ほとんどが最短1メートルで、これがなかなかに遠い。特にライカで多用される35ミリなどは、ファインダーでちょうど収まりのいい絵をつくると、まず寄り過ぎでピントが合わない。で、そこから二重像が合う位置までじりじり退いていくと、周辺に余分たっぷりの困った写真になるのである。
そこでやむを得ずの緊急避難的救済措置として、トリミングを前提に作画する。物理的にも心理的にもヒジョーに気持ちが悪いのだが致し方なし。というか、撮らないよりは撮った方がいいだろうという、後ろ向きな計算をする自分が気に入らない。つまらないことにこだわっていると思われるのは承知のうえで、でもそういうつまらなさを捨ててしまうと、今以上に本当につまらないところに堕ちてしまいそうな自分が怖いのだ。
とはいえ、まあ悪いことばかりではない。周辺を切り捨てる前提で撮った写真には、ちょっとした愉しみが残されている。それは現像後に、何度もトリミングを繰り返すことだ。なるべく日を置いて、前の作業は参考にしない。結果が大きくバラついていたら、それは自分の中でちゃんとした画面構成の意識が出来ていない証拠。何度やっても大差がなければ、(写真の巧拙は別として)自分の絵がつくれているということである。
などと、もっともらしいことを書いているけれど、本音をいえば「トリミングで捨てるフィルムがもったいない」のである。デジタルならそんな悩みも後腐れもなく、いくらでも切って捨てられる、だろうか? やっぱし無理かな。
さて、そろそろ次回から書きかけの続きに手をつけないといけないのだが、どれにしよう。
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▲photo01:往年のWニッコールは最短撮影距離が3.5フィート、つまり1メートル強。こういう撮影には不向きなレンズである。ここでは周辺を3割程度カット、ほぼ70センチでの撮影とおなじ程度までトリムしている。逆光には弱く、背景の白壁(隣の建物を覆った工事用のシート)は日陰なのに画面全体がハレハレになる。ピントが甘く見えるのもハレーションが原因。後処理でコントラストは出せるが、それをやると白浮きした部分の粒状が荒れる。写真光学的にはいろいろ突っ込み所があるけれど、でも僕はこういう写真が好きなので問題無し。
▲photo02:こちらもおなじボディとレンズの組み合わせで。トリミングの比率も上とほぼいっしょ。もっと寄れる条件だけど、背景とのバランスから周辺を捨てるつもりで撮った。モノクロの場合、コントラストはいくらでも自由に出せる。というか、そういう仕組みがフィルムと印画紙にインストールされている。
Special thanks to Mayumi.
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