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So That Memories Exist : メイキングセンス。by 中山慶太

So That Memories Exist

2009-09-22 | 東京レトロフォーカス別室

Leica M5 / Biogon 35mmF2 ZM / Kodak BW400CN / (C) Keita NAKAYAMA

Leica M5 / Biogon 35mmF2 ZM / Kodak BW400CN / (C) Keita NAKAYAMA

歴史に刻まれる事件が起きたとき、自分はどこで何をしていたか。それを記憶しているひとは多いだろう。でも僕はあの日に何をしていたか、まったく覚えていない。たぶんいつもと変わらぬ平凡な一日だったのだ。そういう曖昧な記憶のなかで、夕方のニュース番組の画面だけが強く印象に遺っている。
僕がそのことを思い出すのは、事件とは直接関係のない、ある橋を渡るときだ。その橋は69年前に完成し39年前の晩秋にひとつの役目を終え、そして今もちゃんとそこにある。

三島由紀夫が自作の取材で勝鬨(かちどき)橋を訪れたのは、1958年3月10日のこと。あの「金閣寺」から二年、次の長編を構想していた三島は、銀座方面よりこの橋を渡り、対岸の晴海まで足を伸ばした。なぜ取材を敢行したか、それはよく分からない。昭和15年に完成したこの橋は、隅田川に大型船舶を運航させるための独得な開閉(跳開)構造で、つとに知られた存在だった。四谷に生まれ、のち渋谷に居を移した、つまり生粋の東京人だった三島なら、わざわざ出かけなくても細部まで記憶にとどめていたはずだ。
じっさい、三島はおなじ年の1月に上梓した短編集「橋づくし」の表題作で、この橋の手前の築地周辺を描いている。狭い運河に架かる七つの橋を渡るひとたちを描いた作品は、この作家には珍しい温度感を漂わせるものだ。「金閣寺」で文壇の寵児となった三島の、銀座築地界隈での見聞から生まれた作品だろう。
そういう掌編を綴りながら、三島の目にはその先の鋼鉄の橋がどう映っていたのか。

「両側の欄干の影も、次第に角度をゆがめて動いて来る。そうして鉄板が全く垂直になったとき、影も亦(また)静まった。」
長編小説「鏡子の家」の冒頭、三島は勝鬨橋の跳開をこのように描写している。その後の展開に重要な意味を持つ一節だが、この記述は厳密には正しくない。勝鬨橋の跳開角は最大70度で、「全く垂直」にはならないからだ。
だがじっさいに跳ね上がる様子を目にすれば、鋼鉄の道路が立ち上がって巨大な壁に変わる様は、相当にスペクタキュラーな見世物といえた。その壁を、時代の閉塞感のメタファーとして描く。これが「鏡子の家」の冒頭で意図されたことだったとしたら、三島が勝鬨橋を取材したのは、何かに追い立てられる自分を意識したためではあるまいか。

Leica M5 / Summicron 35mmF2 / Kodak BW400CN / (C) Keita NAKAYAMA

Leica M5 / Summicron 35mmF2 / Kodak BW400CN / (C) Keita NAKAYAMA

勝鬨橋は今もじゅうぶんに美しく、しかし写真に撮りづらい橋だ。まず「退き」で撮ろうとすると、両岸の建築を処理することがむつかしい(三島の時代と違い、今はビルだらけなのだ)。逆に「寄り」では銀塗りの鋼鉄とリベットの質感が上手く出せない。撮影にはコントラストの高い条件が有利と思え、好天を選んで足を向けているのだが、僕は未だに望み通りのトーンを得られずにいる。
また、舗道を跨ぐかたちで設けられた小部屋(開閉部の両側左右に運転室や宿直室など、計4室)の存在感が存外に大きく、広角系レンズではパースによる歪みが目立ちやすい。それやこれやで、撮れる位置と角度はあらかた決まってしまう。

三島は「鏡子の家」で時代を描こうとして失敗した。それがおおかたの見方で、僕もその通りだと思う。もしその試みが上手くいっていたら、その後の作品と人生は、ずいぶんと違ったものになっていただろう。けっきょく三島は虚構ならざる現実の世界で時代という壁と対峙し、正面から破口を穿ち突破しようともがきながら、その抜け道としての「美化された死」に取り憑かれていく。
小説家・三島由紀夫が市ヶ谷で命を絶ったのは、1970年11月25日。彼がかつて壁として描いた橋が跳開を止めたのは、その四日後のことである。

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▲photo:鋼鉄の橋には旧い機材が似合うと思いつつ、なぜかあまり昔のもので撮ったためしがない。この日のボディはM5、レンズは上がビオゴンZM、下が七枚玉ズミクロン。35ミリの画角はこの橋にちょうど良く、それより短いと途端に難しくなる。

Special thanks to Mayumi.

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