Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 520

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 535

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 542

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 578

Deprecated: Function set_magic_quotes_runtime() is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 18
M is for Memory. : メイキングセンス。by 中山慶太

M is for Memory.

2010-10-12 | 東京レトロフォーカス別室

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM /  F9,0 1/100sec. / ISO800 / (C)  Keita NAKAYAMA

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM / F9,0 1/100sec. / ISO800 / (C) Keita NAKAYAMA

まるで楽園のようなその場所に迷い込んだのは、周囲の山々が陽の残りを奪いあう刻のことだった。

その場所は山の尾根筋にひろがり、起伏に富んだ地形が、ぜんたいの広さを隠している。人の手の入った草原が、古びた木の柵で仕切られ、どこまでも続くようにも見え、またあるところから先は、すとんと切れているようにも思える。
柵が長い影を落とす小径を、沈む陽に向かって歩いていくと、白のショールを羽織った女性が立っていた。

「こんにちは」と僕が声をかけると、彼女もおなじ挨拶で応える。この場所に立ち入ったことを咎める様子もなく、というより、僕の存在をあまり気にとめていない。そういう口調だった。
「これ、ずいぶん旧いつくりですね」放っておくと、いつまでもはじまりそうにない会話の糸口を探しながら、僕は彼女の傍らの柵に目を移す。そうしないことには、言葉の続きが見つからないくらいに眩しかったのだ。太陽は今まさに彼女の顔から数センチの位置にあり、おかげで歳のころもよくわからない。
「そうね。祖父の代からここにあるものだから。放し飼いにした羊が、群れからはぐれてしまわないように」
「ああ、それで原っぱに人の手が入っているんだ」僕はひとりごちて、そっと柵に手を触れてみた。線路の枕木のようにざらりと乾いた感触。たぶんユーカリだろう。その古木の向こう側の牧草地は、緩いカーブを描きながら、また次の柵に向けて広がっている。
「これにそっくりの風景を観たことがあります。脚の不自由なご婦人が、草原を這って進んでいく情景で、それは絵のなかの世界でした」
「アンドリュー・ワイエスね」彼女はすこしの間も置かずに答えた。「クリスティーナの世界。素敵な絵だけど、私はヘルガの方が好き。光が瑞々しいから」
絵画にとても詳しいのですね、という僕の科白を圧しとどめるように、彼女は続けた。「私、いぜんに絵を習っていたのよ」

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM /  F9,0 1/100sec. / ISO800 / (C)  Keita NAKAYAMA

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM / F9,0 1/100sec. / ISO800 / (C) Keita NAKAYAMA

「羊たちはどこにいるんですか」僕は遠くの柵を眺めながら訊いた。「もしよければ、写真を撮って帰りたいんだけど」
「今日はもう厩舎に戻したわ。それで、迷子の羊が出ていないか、こうして看て回ってるわけ。あなたも途に迷ったのね」
「迷っちゃいませんよ。ただ、今どこにいるのか、よく知らないだけです」自分の弱みを見せまいと、僕は肩のバッグからカメラを取り出す。「羊が留守なら、あなたを撮っても構いませんか」
「構わないけど、なぜここで写真を撮りたいの」
「そうですね。記念ではなくて、思い出のためです」
「それなら、ご自分の記憶に焼き付けておいたらどうかしら。綺麗な風景と、そこで出会った見知らぬ私。それくらいはずっと、いつまでも覚えていられるでしょう」
彼女の言う通り、無理に写真を撮る必要はない。もしもこの眼に映ったものすべてを覚えていられるのなら、そんな必要はどこにあるだろう。
「でも写真は、思い出をほかの人と共有できますから」僕はそう言って彼女にレンズを向けた。彼女は僕の言い訳を見透かすかのように、こちらを真っ直ぐに見つめる。その姿は強い光のなかで幻のように見えた。

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM /  F9,0 1/100sec. / ISO800 / (C)  Keita NAKAYAMA

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM / F9,0 1/100sec. / ISO800 / (C) Keita NAKAYAMA

「もう山を下りた方がいいわ。陽が落ちると冷え込むから」肩のショールを両手で寄せながら、彼女は脚もとに目を落とす。「明日の朝は、きっと地面に霜柱が立つでしょう。夏が終わって秋が来るはずなのに、今年はもう冬に入ろうとしている」
「たぶん、誰かがカレンダーをめくろうとして、間違えて破いちゃったんですよ。九月と十月の分を」
その物言いが気に入ってもらえたのだろう、彼女ははじめてそこで笑みを見せた。それは少女のように愛らしく、でもどこか寂しげな笑顔だった。

別れを告げるとき、彼女が羽織ったショールに小さな刺繍を見つけた。アルファベットのMの字。名前の頭文字だろうか。
「これのこと? そうね、私の性格。とてもマジメなの。羊たちと暮らすには、それが必要なんだわ、きっと」

つま先に重みを感じて歩きながら、僕は今しがたの出会いについて、勝手な想像をめぐらせる。彼女は人里はなれたこの場所で、たったひとりで羊の世話をしている。夜は子羊の鳴き声に目を覚まし、雨の日は老いた羊の、痛んだ蹄の手入れをして過ごす。会話の相手は、毎朝に餌を届けにトラックでやってくる、麓の若者だけかもしれない。
そういう日々を写真で追ったら、きっと素敵な物語を綴ることができるだろう。でも、もし撮影をお願いしても、彼女の答えはさっきとおなじだ。写真の記録に頼らず、もっと記憶に焼き付けなさい、自分の記憶を信じなさい、と。

Mはもの想いのM。いやメモリーのMか。僕は夕暮れの山道に立ち止まり、カメラをそっと撫でてバッグに仕舞った。

*******************

Special thanks to Eriko SHIKANO & Yoshiyuki AOKI.

Trackback URL

------