ご近所さん
撮影を終えて立ち寄る店がある。
間口は二間、奥行きは三間に足りず、席数も十に満たない。そう書くと洒落た小料理屋でも期待されそうだが、これはじっさいラーメン屋である。それもいわゆる名店ではなく、地元でもあまり知られていないし、行列もできたところを見たことがない。
硝子の引き戸は戸車をつかった木製で、立て付けもふくめて、古びた家屋の演出がある。その戸をがらぴしと開けると、左手に食券の券売機。メニューのボタンを数えたことはないが、たぶん席数の倍はない。うち半分が創作の麺もので、これはなかなか凝っている。
店の看板というか売りの一品は、秋刀魚の出汁が効いた醤油味。多すぎず少なすぎずの量がハシゴの二軒めにも向く。体力系の勤め帰りに合わせたとおぼしき味付けは、ふだん身体をあまり使わぬ身には濃い口ではあるが、野趣があって美味である。
店員は脱サラ風の料理人がひとり、いつも白い蒸気と油煙にまみれて、玉の汗を手拭いでぬぐいつつ火と闘っている。もうあとひとりは客の注文を差配するサービス係で、ふだんいるのは中国からの留学生。いぜんに出身地を尋ねたところ、聞き覚えのない地名を教えてくれた。どうやら大連の辺りらしい。
彼女は真冬でも藍のTシャツ姿で、髪を結んで仕事をしている。故郷の冬は寒気が厳しく、それに比べればこの国の冬などどうということはない、わけでもなさそうで、これはたんにお仕着せのようだ。つまり制服、ユニフォーム。
その溌剌とした立ち姿は眺めていて気持ちがよく、撮影帰りにフィルムが残っていたら撮らせてもらおうと思いつつ、立ち寄るときはいつも弾切れ。しかも店内はフィルムカメラに厳しい暗さである。なので不承不承、デジタルを持ち込んで撮らせていただいた。顔なじみであっても、客の立場で無理をとおせばパワハラになる。そこは礼儀を忘れずに。
なじみいえば、ときおり本棚からとりだしページを捲る本に、山口瞳や池波正太郎の美食エッセイがある。「行きつけ」のあれこれをさらりと描いて芸になる、そういう粋な時代の小粋な著作である。僕にはそんな心得もないが、偶にご近所さんを訪ねては「行きつけごっこ」を楽しむことにしている。それを分相応といったら店のひとたちに失礼だろう。
狭い店だが、写真の背景に見える厨房は、じつはさほど狭くはない。厨房を庭にみたてれば、建ぺい率は六割か七割か。客席に比べてゆとりがあるところが、フィルムカメラのフィルム室を思わせる。どれだけ小型化につとめても、そこだけはけっして削れない。けだし厨房とはそういうものである。
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