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Sodium : メイキングセンス。by 中山慶太

Sodium

2014-06-28 | 東京レトロフォーカス別室

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM /  F2.8 1/15sec. / ISO1600 / (C)  Keita NAKAYAMA

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「さいきん目の調子が、どうもよくない」

友人はそういって、ハンドルから離した片手で瞼をこすった。夜の山道は墨を垂らしたようで、前途になにが潜むかよく知れない。僕は片目を瞑って、視野の狭まるようすを確かめてみた。

「疲れ目じゃないのか。翻訳の仕事だと、近くの画面ばかり観ているだろう。偶にはベランダに出て、なるべく遠くを見るといい」

「そうじゃなくて、ものがぜんぶ、おなじような色に見えるんだ」友人はこんどは逆の目をこすり、ゆるいカーブが続く進路を片手で操っていた。

「危ないな」僕はとっさに口にでた言葉を、べつの意味にすり替える。「早めに病院にいかないと、まずいことになるかもしれない」

「行ったよ。目医者には二軒かかったけど、どっちの検査も正常で、違う薬を渡された。それを片目ずつ注してみた」

「どうだった」

「どっちもまるで効き目がない。今はふつうの目薬を注してるよ。まあ気やすめだが」彼はふうっと、自嘲のまじったため息をハンドルに吹きかける。

「薬といえば」僕は半日まえに見た光景を頭に浮かべた。「今日、お前が着く前にK子の部屋を見せてもらったんだが、机のうえにあった薬の袋がすごい数だった」

「お母さんが見せてくれたのか」友人はひどく驚いたようすでいった。「あのひとが娘の部屋に他人を通すのは、珍しいな」

「あのひとって、お前、K子の家族と親しかったのか」

友人はしばらく口をつぐんで、それから小さく頷いた。「K子と俺は、幼稚園からのなじみだった」

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM /  F2.8 1/15sec. / ISO1600 / (C)  Keita NAKAYAMA

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「あの家にもよく遊びにいったよ。その頃はまだ新築で、K子はいつも応接でピアノを弾いてくれたんだが、二階には上がらせてもらえなかった。いちど階段のとちゅうで、母親に背中を咎められたことがある。小学校にあがりたての頃だったか」

「ずいぶん厳しいな。そんな子供の部屋に男子禁制とは」

「いや、仲のいい女子にもずっとそうだったみたいだ。一階で遊びなさいと、いつも母親が言い含めていたらしい。優しいけど厳格なひとだったよ。飲み物を運んでくるときも背筋が伸びて、盆のコップが音を立てなかった」

「今日もずっとそんな感じだったな、たしかに」僕は短く答えた。まばらに走り去る街灯に、自分の手がいっしゅん照らされ、その青白い肌色が今日みた女性の顔に重なる。

「K子はあの部屋を使っていたんだろうか」僕は友人に問うでもなく、ぽつりと漏らした。

「どうかな。離婚してあの家にもどってすぐに体調を崩して、それから入退院の繰り返しだったそうだから、じっさいはあまり使わなかったかもしれない」

「なるほど、見たところ中高生の部屋みたいだったのは、その所為か」

「なぜそう思ったんだ」

「なぜだろう」僕は記憶を辿ってみた。素朴な白木の机と本棚、小さなベッドがそう思わせたのか。たぶんそうではなく、淡い壁紙の色だろう。それはいつももの静かでクラスで目立たぬ少女、広げたノートでピアノの指使いをする娘、そして時おりに感情を昂らせるK子の面影に、ぴたりと重なった。

道は長い直線に差しかかり、その先に口を開けるトンネルがみえる。友人は片手でネクタイを解きながら「今日あそこにあったK子の写真、どう思う」と訊いてきた。

Canon EOS 7D / EF 35mmF1.4 L USM /  F2.8 1/15sec. / ISO1600 / (C)  Keita NAKAYAMA

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「高二の頃にくらべて、ずいぶん大人びて見えたな」

「あれは結婚するちょっと前だ。もとは色がついていたはずなんだが、今日の写真は俺たち皆の服といっしょで、色がなかった」

「家族がアルバムから選んだときに、そういう処理で依頼したんだろう。カラーを白黒にするのは簡単だよ、今なら五秒とかからない」

僕は友人から黒のネクタイを引き取って、後ろの座席に置こうと身体を曲げた。トンネルの入り口のオレンジの灯りが車内を照らす。友人の顔もおなじ色に染まり、そしてその頬にひとすじの光るものがあった。

「K子の母親は、なぜ娘の部屋に、余所のひとを立ち入らせなかったんだろう」僕はその答えを友人が知っている気がした。

「……あいつは薬物過敏だったんだ。幼稚園の頃には喘息もあった。それをまわりに悟られないよう、家族はそうとう気を遣ったらしい。本人の話では母親もおなじ体質で、子供の頃の苛めに悩んだそうだ」

「そうか、それで薬が増えたんだ」僕はK子の机を思い出していた。

「たぶんな。ほんらいの治療薬よりも、抗アレルギー剤の方が多かったはずだ。でも高校時代には症状も落ち着いて、東京の大学に進んで、そっちで就職もできたんだが。それでも母親はあいつの部屋に異物が入らぬよう、ずっとドアを閉ざしていた」

「そうして娘の帰宅に備えていたのか。皮肉だな、その部屋に戻ったK子がああなるとは」

友人は無言で頷く。彼は片手で両方の瞼を軽くこすり、そしてこう呟いた。

「なあ、このところの目の調子、俺にとってのものの見え方は、このトンネルのなかによく似ているよ。そこに色があるとわかるのに、色を感じないんだ。だからなにを見ても心が動かない」

僕には彼の目の不調が、K子の最期の日々と関係があるように思え、話をすこし逸らした。

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「トンネルの色づきなら照明の所為だよ。演色性の低いランプを使っているから」

「えんしょくせい?」

「演出の演に色と書く、光の性質のことだ。それが低い光源だと色の違いを感じにくくなる。このトンネルはたぶんナトリウム灯だけど、さいきんでは珍しいな。どこも入れ替えが進んでいるから」

「ナトリウム灯か。俺のこの目も、電球のように付け外しがができると、いいんだが」

「医者が診て問題ないなら、そのうちに治まるんじゃないか」

そう、思い出にはそれに相応しい色が必要だ。友人もそれを取り戻す日がくるだろう。また、いつか。

前途はふたたび暗い山道に戻り、僕らは黙ったままそれぞれのもの想いに耽る。そうして遠くに街の灯りがみえはじめたとき、友人が口をひらいた。

「ひとつ訊いていいかな」

「なんだ」

「あいつの部屋の壁、何色だった?」

「ああ、淡い水色だった。ちょっと陽に焼けていたけどね。それがどうかしたか」

「水色か。たぶん高二の秋とおなじ壁紙だろうな」

僕はその意味を問わず、ずっと考えていたことを口にした。

「今日の写真のK子、いい表情だった。こんど色付きで見せてくれるか」

「そうだな、戻ったら探しておくよ」

友人がすこし開いた窓から冷気が吹き込み、閉め切った部屋の空気が夜空に散っていった。

***

Special thanks to ERIKO.

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