Spellbound
フィルムのパッケージには、呪文が書いてある。
普通のひとには、意味がよくわからない文字列と記号の連なり。それをなぜ書いておくのか。たぶんある種のひとだけに効く魔法が、そこに仕掛けてあるのだ。
そういう呪文を解くのは容易でない。意味を読み解くのも、かかった魔法から逃れるのも。
せんじつ読者からいただいたメールのなかに、画像処理についての質問があった。いわく、ネガフィルムをスキャンしたときの、暗部階調のノイズに悩んでいる。(僕のサイトの記事を参考に)いろいろ試したけれど解決できない。なにか良い方法はないものか。
なるほど。
たぶんいちばんの解決法はフィルムを諦めて、デジタルに完全スイッチすることだ。などと、いつもの諦観を綴って返そうと思ったのだが、思い直した。たぶんメールの主も、いぜんに間違ってフィルムのパッケージを読んでしまい、それから呪文が解けずにいるのだ。
そういうひとに別の道を示しても、まずそっちにはいかない。僕自身がそうだから、よく分かる。
フィルムの暗部にノイズが乗る原因は、いくつか考えられる。まずスキャナの性能限界。フィルムスキャナは原理や仕組みはデジカメとはだいぶ異なる(カラーコピー機に近い)けれど、光の推移を読み取ってデジタル信号に変換し、画像処理を加えて出力する機能はいっしょだ。
変換する前の部分はアナログ信号処理なので、暗部にはノイズが乗りやすい。最新のデジカメが暗部階調をスムーズに出せるのは、A/D変換後に強力なノイズリダクションを効かせてあるためで、そういう部分は新しい機械ほど優れている。
だから最新の画像処理技術をフィルムスキャナに移植すれば、フィルム画質の厚みを活かした、ちょっとたまげるような画像が手に入るはずなのだが、今の商業的な状況に照らせば、これは暇人の夢想である。
考えられるもうひとつの原因として、フィルム自体の性質がある。僕はまずそっちを疑って、メールに記して返したのだが、かいつまんでここにも書いておこう。
フィルム写真(デジタルもいっしょだが)は、低感度で使うほど粒状が良く、きめ細かな画質が得られる。だからプリントで大伸ばしをしたい風景写真家や、肌の調子をたいせつにする人物写真の撮り手は、状況が許す限り低感度のフィルムを選ぶ。これは常識で、どこも間違っていない。
ただしどんなフィルムも、露出不足の状態では粒状が荒れる。通常それは撮影時のミスで生じる(DXコード未対応カメラで感度設定を忘れるとか、測光モードの切り替えを怠るとか)のだが、画面ぜんぶが救いようもなく荒れ果てることは、実は滅多にない。
反対に、適正な露出を与えたフィルムであっても、画面の暗い部分だけを取り出してみたら、どうか。フィルム面が受け取る光の量が少ない、という意味では、露出不足とおなじことになる。つまり露出において「適正」という概念は、写真の主要な部分に対する評価基準に過ぎない。そして多くの人が注目するのは、その部分の粒状だけなのだ。
フィルム写真には長い歴史があって、その間にさまざまな改良がほどこされて成熟した。上に書いたような暗部の粒状性についても、通常はほとんど目立たぬよう、ナノテクの工夫が加えられている。
でもフィルム撮りしたアガリをスキャナにかけて、人物の顔の影の部分、顎から喉にかけての階調などをしげしげと観察すれば、そこに肌荒れのような粒状が確認できる。これはもう、どうしたって致し方ない。というか、そこまで拡大して観るものとは違うのである。
まあ、悪いことばかりでもない。ノイズ処理に長けたデジカメの、あのどこか立体感に欠ける画像を思えば、顎の影の粒状なんて、どってことない。だいいち誰も観ないよな、そんなとこ。
そう自分に言い聞かせつつ、キャリアに載せたフィルムをブロアで吹いて、ふと思う。そういえばフィルムのパッケージは、裏側にも何か書いてあった気がする。
もしやあれが呪文を解く方法かもしれない。今度よく読んでみることにしよう。
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▲photo1:寒く長い冬が終わり、日没まであと30分の堤防にて。「この時間帯で撮れる季節になった」と喜ぶのは撮り手の身勝手。「花粉が飛んで来て憂鬱」と嘆くのは撮られる側の事情。その憂い顔をありがたく頂戴した。
光量はまだ充分の条件だが、速めのシャッターで撮りたかったのでISO400を選ぶ。フィルムは「スペリアの安い方」だけど、背景の淡い青灰色の粒状感はたいへん見事。
▲photo2:「すべてを見通すホルスの目」。上の画像の部分を拡大すると色調が気持ち赤味がかって見える。これはハイライト部の面積が減ったことによる錯視だけでなく、拡大によって中間階調の赤浮き(僕のスキャナの特性でそうなる)が目立つため。補正はいくらでもできるけど、ここではほどほどにしておいた。画面右側をよく見ればトーンと粒状感の関係が分かると思う。
制作協力:宮崎優子
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