Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 520

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 535

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 542

Deprecated: Assigning the return value of new by reference is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 578

Deprecated: Function set_magic_quotes_runtime() is deprecated in /home/users/1/gloomy.jp-kono/web/nakayamakeita/wordpress/wp-settings.php on line 18
Start Again(1) : メイキングセンス。by 中山慶太

Start Again(1)

2013-03-25 | 東京レトロフォーカス別室

KMZ Start / Herios-44 58mm F2 / Kodak ProFoto XL100 / (C)  Keita NAKAYAMA

KMZ Start / Herios-44 58mm F2 / Kodak ProFoto XL100 / (C) Keita NAKAYAMA

最初の一本から次のフィルムを詰めるまで、十年かかった。
そんな話をしたら、カメラの設計者に革靴の底でハタかれるだろうか。
まあ革靴がスリッパに替わったところで、底は分厚いに決まっている。もし素足だったとしても、「弊社製品になにかお気に召さない点が」みたいなことは、言わないだろう。

なにせこのカメラ、社会主義の赤い旗が風をはらんでばたばたと音を立てていた半世紀前に、モスクワの郊外のだだっ広い敷地のなかの、灰色の建物の片隅でつくられたという代物だ。ちなみに最後の部分には僕の妄想だ。
建物の壁が何色かは分からないのだけど、そこに「月産目標達成」のスローガンはあっても、顧客満足度向上の貼り紙などは、まず見当たらない。なぜならあの国の主役は労働者であって、消費者ではなかったから。
それが使われることよりも、つくることが優先される。これが旧共産圏カメラの本質である。

ではそのおなじ頃に、労働よりも消費を優先したこちら側の世界では、すごく良いカメラがつくられていたのだろうか。これにはいろいろな見方があるが、こと一眼レフに限っていえば、進化の度合いはほぼ似たり寄ったり。世界にはまだ発展途上で完成度の低い、別の言い方をすれば「コトワリ無くして使えないカメラ」しか存在しなかった。このカッコ内のカタカナには、理屈の「理」をあてて読んで欲しい。

KMZ Start / Herios-44 58mm F2 / Kodak ProFoto XL100 / (C)  Keita NAKAYAMA

KMZ Start / Herios-44 58mm F2 / Kodak ProFoto XL100 / (C) Keita NAKAYAMA

さてそこで時代は下って2013年の春。人一倍に理屈っぽい男に囲われていたこのカメラが、ようやく本来の職場に復帰することになった。といっても能力を買われてのことではなくて、文字どおり「話のネタ」なのだが、いざ仕事をさせてみればこれがなかなか悪くない。

「お前、けっこう使えるじゃあないか」という独り言には、たぶん十年分の利息が上乗せされているので、あまり真に受けないで欲しいけどね。

もちろん、これを死蔵した理由である「使いにくさ」はそのままで、こちらの技量の嵩(かさ)も相変わらずだから、アガリにはバラつきが多い。ついでに書くと、コマ間とコマ位置のズレも以前と変わらない。後者はたぶんデフォルトだろう。
でもこういう不完全なカメラを使うと、「写真とは、押せば写るものではない」ということが、今さらながら身に沁みる。もし写っていても、まるで写真になっていない。そういうことがままあるのだ。
(この項続く)

*******************

▲photo01:港町の旧い建物のカフェに通じる階段で。三月も半ばのこととて午後五時をまわっても写真が撮れる。踊り場に駐輪した自転車を撮ろうとファインダーをアイレベルに交換したところで、ちょうどオーナーが降りてきた。佳い季節に佳い情景にめぐり逢わせてくれたTさんに感謝。

▲photo02:
この日のレンズはヘリオス44(下の画像の専用レンズ)1本のみ。58ミリの焦点距離は僕にとっては中望遠。気軽な散歩写真には向かないので、被写体を人物や静物に求める。これは上の画像の踊り場を斜俯瞰で撮ったもの。ピントが甘めなのは僅かなカメラブレが原因。画像中心部は絞り開放からそれなりにシャープな像を結ぶ。逆光にはたいへん弱いためカラーバランスに偏りを生じがちだが、これは後処理で補正が利く(同時代のレンズには補正困難な物品もあるので要注意)。

 (C)  Keita NAKAYAMA

(C) Keita NAKAYAMA

▲photo03:
旧ソ連はKMZ(クラスノゴルスク機械工場)製の一眼レフ「スタート」。ネットで見かける画像はアイレベルファインダー装着のものが多いので、ここではウェストレベルを付けてみた。今回の撮影も半分はこのファインダーで行っている。
おでこに刻まれた文字はCmapmと読めそうだが、これはキリル文字のСтарт、つまりラテン文字Startのキリル転写(翻字)である。1950年代後半に現れたこのカメラが英語名を与えられた理由はちょっと分からない(輸出向けにラテン文字標記のボディもある)。戦前日本などと違って、大らかな国民性ということだろうか。

カメラの成り立ちは東独製のエキザクタ、あるいはプラクチナとの共通点が多い。つまりファインダー交換システムやボディ内フィルムカッター、またスピゴット式のレンズマウントなどを備えた上級一眼レフである。
専用レンズは巨大なノブと一体化されており、絞り込み〜シャッターレリーズの連携が可能(詳細は後述)。こうした試みはなかなか意欲的ではあったが、本機が範とした東独カメラ同様、その基本は第一世代の一眼レフを小改良したカメラといえる。この時期の西側では第二世代の一眼レフ開発が進んでおり、KMZも本機のシステム展開を放棄することになる。

Trackback URL

------