Tea Break
友人のH君は変わり者だが、好人物である。
いや、奇矯な善人というのは特に珍しくない。H君も今の世の中によくある、「心優しくてちょっと壊れた」キャラクターの典型かもしれない。昔の男は優しさを隠すためにタフガイを装ったものだが、そういうピカレスクは、もう流行らない。
友人の心根の善さについては、話すこちらにも照れがある。そこで変わり者ぶりについて書くことにすると、H君はギターコレクターである。なんだ普通じゃん、とがっかりするのはまだ早い。
実はH君のコレクションは、個人所蔵の規模をとっくに超えている。その数およそ〇〇〇本。←この空欄に好きな数を書き込んでください、というのは、なにしろ多過ぎて本人にも確かなことが分からないからだ。
それでも集めはじめたころは、いつどこでどんなギターを買ったか、ちゃんと覚えていたらしい。それが年に十本とか、それを上回るペースで増え続けて、僕が最後に聞いた数字が「二〇〇本から三〇〇本の間」。もう十年くらい前のことである。
もちろん、それだけの本数を買い求めて所有するのだから、H君の知識量は相当なものだ。どのメーカーのどの年代のギターはボディ材が何でパーツはこう、塗装仕上げはこんな風と、細かい仕様の違いを実によく覚えている。
しかもマニアによくある耳学問ではなく、ちゃんと所有して弾いたうえでのことだから、話す言葉の重みが違う。街の楽器屋の店員さんも、H君相手にうかつな説明をすると恥をかくだろう。
そういう並外れたH君だが、楽器を除く趣味のジャンルについては、まるで疎いというか、そもそも興味がない。いっしょに飲むときに、僕が傍らに置くカメラも、コニカIIIAとライカM3の区別がつかない。たぶんフィルムカメラとデジタルの違いについても、「裏蓋が開くか否か」くらいの認識しかないはずだ。
「それで旧いカメラって、何が面白いの」
ときおり、真顔でそう訊いてくるH君を、僕はいつも曖昧な答えではぐらかす。旧いカメラは不便で、失敗が多くて、写真を撮るのにお金がかかる。心と財布に余裕があればそれでもいいけど、普通に写真を楽しむなら、便利で間違いがなくて、安上がりなデジカメだね。
「ふうん、なるほど。でも、写真になったときの、画質が違うんでしょ。フィルムとデジタルだと」
……違うといえば違うけど。たとえば昔のレンズの方が、立体のデコボコ感が写るとか。あとはその場の空気とか、人物の体温みたいなのも、フィルムだと出しやすいかな。
「それって、楽器みたいに、使うひとによって差が出るもの?」
いやそれはない。誰が撮っても、カメラがおなじなら写りはいっしょだよ。そう答えると、H君は「それじゃあ面白みがないな」という顔をする。
そりゃあ、ギターの方がずっと面白いはずだ。練習しただけ巧くなるし、高い楽器も巧く弾かないと音にならない。練習しなくても使える道具、ボタンを押すだけで完成する表現なんて、甘っちょろいし嘘くさいよな。という話は、もちろんH君に聞かせたことはない。
ところでH君は、そんなにギターを買い込んで、いったいいつ弾くのか。いやその前に、置く場所はどうするのか。誰もが訝しむはずだが、これは心配にあたらない。彼は趣味のバンドだけでなく、職場でも演奏する機会がある。H君は高校教師で、軽音楽部の顧問という立場を利用して、学校でもデカい音を出すらしい。
そして彼の家は戸建てで、ギターにあてがった空き部屋の床には「まだ並べる隙き間がある」のだそうだ。カメラだったらどれくらい置けるかと思ったが、やはり話はしないでおいた。
Special thanks to MAYUMI.
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