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世界の1/3 (2) : メイキングセンス。by 中山慶太

世界の1/3 (2)

2009-06-01 | 視聴覚室

'Clair de Lune'' / Plaktica VLC3 / Pancolar 50mmF1.8 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

'Clair de Lune'' / Plaktica VLC3 / Pancolar 50mmF1.8 / RealaACE / (C) keita NAKAYAMA

彼女は並外れた歌い手だ。その声に触れるとき、僕らは人間に秘められた能力を、その量り知れなさを思い知る。もしも歌詞が槍のように尖っていたら、彼女は歌声で人の心を刺し貫き殺せるだろう。嘘でない証拠に、僕はもう何度も死んでいる。

マリア・ベターニア・ヴィアンナ・テレス・ヴェローゾは1948年6月18日、ブラジルのバイーア州サント・アマーロの街に生まれた。幾筋もの小川が流れる美しい街だそうだ。彼女の洗礼名を考えたのは4歳年上の兄、カエターノ・ヴェローゾだという。父親は別の名を考えていたが、両方の名前を書いた紙片を帽子に入れ、「くじ引き」のようにして引いた結果、兄の案が通った。
「たぶん父は僕に花を持たせようとして、おなじ名前の紙をたくさんつくったんだと思うよ」とは、当のカエターノの弁である。

一家はベターニアが14歳のときに、バイーアの州都サルバドールに移り住む。ポルトガル植民地時代の街並み(世界遺産になっている)で知られる旧い港町だ。かつて奴隷船が最初に着いたというこの街の、ヨーロッパとアフリカと南米という三つの大陸文化が混じり合った空気は、多感な年代の兄妹に大きな影響を与えた。
歌手としてのデビューはその二年後。音楽家を志す兄が手がけていた映画音楽に、半ば無理矢理に起用された。本人は嫌がったそうだが、けっきょくそれが映画監督やプロの歌手に認められ、翌年にはミュージカルへの出演やレコードデビューが決まる。1965年に発表されたデビューアルバムの一曲目には、兄カエターノの作品が置かれた。

aa3彼女はそれからも舞台や録音で兄の曲を採り上げ続けるのだが、例外もある。その数少ないなかでの傑作が1967年の「エドゥ・ロボ&マリア・ベターニア Edu & Bethania」だ。世界を席巻したボサノヴァのムーヴメントが沈静化する、その直前の揺らめきのなかに現れた歌手エドゥ・ロボとのデュエット作。たぶんレコード会社(制作はボサノヴァ専門のエレンコ・レーベル)主導の企画盤だと思うが、ボサノヴァの枠に収まりきらない二人は、ブラジル音楽の原点に立ち帰り、そして未来への示唆に満ちた音楽を創り上げたのだった。

実際ここでのベターニアは、端正でちょっと取り澄ましたようなボサノヴァの典型的なスタイルとは、まったく異なる歌唱を聴かせる。まるで炎が消えても燻り続ける熾火のような声。それが土着的な音型を大胆に採り入れたエドゥ・ロボの作風と呼び合って、危うくも不思議な均衡を生み出している。

マリア・ベターニアの初期を代表するこの名盤は、おそらく本人の意志とはすこし離れたところでつくられた。それは当時のブラジルの世情(軍事政権下で反体制音楽に厳しい弾圧が加えられた・・・兄カエターノも反体制の活動で投獄の憂き目に遭う)から目をそらすような、いわば「いびつな、つくりものの調和」を目指した音楽である。
にもかかわらず、いや、だからこそ本作は時代を超えた普遍性を獲得した。聴く者の心を刺し貫くベターニアの歌唱、まるで密林に潜む猛獣のようなその声が完全に解き放たれるには、60年代という時代は危険すぎ、彼女自身も若すぎた。ベターニアの声が広大なブラジルの大地を体現するまでには、この先まだ長い時間が必要だったのだ。

▲photo:写真のピント面は必ず同一平面にある、はずなのだが、どう観てもそうなっていない場合もある。モデルは16歳のクレア。

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